伝統こけし展示会。祖父がパンフレットの挨拶文で“この活動がこけし館建設の起爆剤になれば”と綴っていた。写真中央は接客する津軽系毛利昭一工人。
昔から家には祖父が集めた数百体のこけしがあった。
祖父が亡くなり、引っ越しをする機会があり、普段から見慣れたこけし棚の数百体以外に倉庫を調べてみたら、化粧箱に入った奥瀬鉄則、佐藤善二、村元文雄工人の8寸~1尺位のこけしを沢山見つけた。
中身を見るとそれぞれ各工人の同型同サイズのこけしが複数本あった。
どうして同じタイプばかり沢山あるのか、コレクションするのであればサイズや柄が違ったものを集めた方が良いのではないかと疑問に思い父に聞いたところ、商店街で自営の店を営む傍ら、観光協会会長職など地域の観光活性にも努めていた祖父は、県外に出張に行くときに必ず津軽こけしを手土産に持参していったらしく、津軽系工人から集めた同型のこけしを沢山ストックしてあったようだ。
父曰く「なかなか手に入らない奥瀬さんの作品とかも父さんが頼むと必ず作ってくれていたみたいだな、善二さんや村元さんとも仲が良かった」と。
1985年/第7回目の伝統こけし展示会のパンフレット、実行委員長の祖父の挨拶文。会場だった黒石の商店街で昔から飲食店や小売店をやっていた祖父や父。当時1歳のため全然覚えていないけど、きっと自分もイベントに連れられて見に行ってたはず。。。
―今はこけし館の一大イベントとして定着している全国伝統こけし工人フェスティバル、その前身である若手工人フェスよりさらに前。
黒石市で開催されていたこけしイベントがある。
黒石よされ祭りと同じ時期に黒石の商店街で開催された『伝統こけし展示会』
津軽こけし館が完成し、若手工人フェスが開催される10年程前から開催していたようだ。
その実行委員長でもあった祖父。副委員長は佐藤善二、奥瀬鉄則工人、委員には初代館長となる鳴海房之介さん、3代目館長となる辻村守男さん等の名も。同イベント以外に祖父は津軽こけし館の建設活動にも協力していたと聞いた。
1986年8月14日から20日までの間に開催された第8回伝統こけし展示会パンフレット。 第8回目の開催の約2週間前に亡くなってしまった盛秀太郎工人。その約1年前には佐藤善二工人も。2人は立ち会うことが出来ず、1988年に津軽こけし館はオープンした。
―当時賑わいを見せていた黒石の商店街は時と共に変わっていった。
祖父や父が続けてきた店を継いで「僕は黒石の商店街でお店を開くんだ!」と夢を言っていた小学生は中学、高校になるにつれ、シャッターが閉まっていく街の姿を見て、お店を開く夢に上書きされ、街おこし、観光にも興味が移り、観光が学べる大学へ。
もどかしい想いを発散するため軽音楽部に入部。
黒石温泉郷の中で、最も山側に位置する青荷温泉。昔からテレビ番組等で日本の秘湯として紹介され、冬場は自家用車ではアクセスできなく、明かりは基本的にランプを用いていることから「ランプの宿」の別名を持つ。部長を務めていた時期に黒石の道の駅のイベントで演奏して欲しい「ライブ報酬はねぇばって(無いけれども)、部員30名ワァ(自分)がやってる青荷温泉、大部屋に雑魚寝だばって(雑魚寝だけど)1泊2食付!どんだば(どうだろう)?(笑)」と、そこで出会った人物 福士収蔵さんが後の津軽こけし館の5代目の館長でもあり自分が勤める事になる会社のトップ人物であった。
黒石市の道の駅 虹の湖(にじのこ)公園。有名なのがこけし滑り台。公園内には、綺麗なシャクヤク園やバーベキュースペース、広い芝生の広場には屋外ステージなどもある。
何度かライブ出演させてもらい、大学4年の秋
「ワァ(自分)のやっている会社で今度伝承館とこけし館運営することになったばって、おめ来ねが(お前こないか)?(笑)」と声がかかった。
(株)ツガルサイコー(旧:(株)弘南ビジネス)では、当時、虹の湖公園の飲食施設を管理運営しており、自分が入社することになる2006年からは津軽伝承工芸館、津軽こけし館の管理運営もすることになっていた。社長は秘湯ランプの宿青荷温泉を運営する(株)青荷温泉の社長も兼務していた。
地元黒石、観光、街おこし。運が良かったのか就職難と言われる時代に頭の中で描いていた理想の場所で働ける事になった。
つづく。
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~あとがき~
伝統こけし展示会のパンフレットを見た時は確か津軽こけし館に配属になった20代半ば。
大学3年生、20歳の頃に亡くなったじいちゃん。
昔から家には沢山のこけし達があったけど、何処が好きなの?とか、津軽こけし館の事とか聞いた事が無かったけど・・・
もうちょっと長生きして、自分が津軽こけし館で働く事知ったら何と言ってきたかなぁ・・・
そして、先日から準備を始めた来週末スタートのポケこけ9.9thのサブイベント
「アタシのこけしルームへようこそ♥2021号室」展示企画
毎年青森の女性こけしファンの方に協力してもらってお部屋の展示風景を再現してもらっており、いつも協力してもらっている人に声掛け+新たに見つけた女性こけしファンの方にお願いして展示協力してくれる方を探していたのですが、今年も「ここ最近よく来るな~」と思っていた女性ファンに展示協力をお願いした所快く了承してもらい、掲示するプロフィールを作って提出してもらった所・・・。
「祖父がこけし館の館長をしていて昔から遊びに来ていました。」
との自己紹介文。
なんと3代目の館長のお孫さん(笑)
自分。そして3代目館長のお孫さん。
互いのじいちゃん達が願って作って繋げて残してくれた施設で、似たような立場でもありつつ。。。
今、さらに繋げていこうと切盛り頑張り中のヤマダがやっている事に3代目館長の孫が協力してくれている。。。
そんな出来事がとても嬉しく思いました♪
最後にサービスショット(笑)
今から約35年前の1986年伝統こけし展示会。そのパンフレットに載っていた若かりし頃の伝統こけし工人達を一部紹介♪
みんな若い!
そして直接お会いしたことなく、もう亡くなっているけど山谷キヨさん。
レイさんに似ててお姉さんかと思った(笑)