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津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その壱


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10年近くぶりに地元紙に登場した馬車運行の写真。少し前に運転手さん(笑)に連絡とった時に「ウチのエッセイで津軽新報に超久しぶりに写真載るけどいいよね?(笑)」と聞いたら喜んでくれた♪ いつかもっと力をつけて津軽こけし館のイベントで呼んで凱旋運行してもらうつもり

思いついたらやってみる、即行動。
という事で、観光客向けにこけし以外の商品も扱うようになり、これまでと違う客層を呼び込むためこけし以外のイベントを沢山やってみた。

津軽こけし館の運営管理企画などにも昔からのやり方があったと思う。それはわかっていたが、こちらにもやらなきゃいけない立場や想いもある。

ーシャッターは閉めさせない。

僕はいろんな部分の外見やら中身の部分、津軽こけし館を壊しまくった。





配属された当時、長年、工人会の会長職だった佐藤佳樹工人が亡くなった後で、工人会長は小島俊幸工人。
来るたびに変わりまくる館内や、やり方を見てあまりの変貌ぶりに頭に血が昇ったようで、何度もカミナリを落とされた。


「歴代で一番ひどい担当者だ」


とまで言われたのを僕は今でも根に持って覚えている(笑)。
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ダースベイダーの曲と共に登場させたい小島敏幸工人(笑)・・・当時の自分にとって乗り越えなければいけない最大の壁でもあった(笑)
だけど…。う~む。。。この話の続きはまた今度。。。。



そんなすったもんだを繰り返しながら、徐々に来館者数が増えた事もあり、数年後、新卒のスタッフを増やすことになった。

年は近く3つ下、初めての部下というか、初めての戦友でもあり、後々、今や津軽こけし館の代名詞とも言われるブログ“こけし絵日記”の創設者、佐々木牧恵さんだった。


弘前大学で限界集落問題に取組み、街おこしに興味あり。
将来は実家の馬牧場を継いで何かしたい、こけし館で働きながら、周辺の温泉街に馬車を走らせ賑わいを創出したい。

何と言うか、自分と似ていた。

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馬車運行は2010年5月から2013年3月頃まで津軽こけし館周辺地域で行われた。馬を引っ張っていた御者(ぎょしゃ/馬を運転する人)は20代前半の女の子、佐々木牧恵さんことマッキー。


そんな佐々木さんが配属されて数か月、もう一つの仕事であった馬車や馬の世話が軌道に乗らず、結局一人でこけし館を切り盛りする日が続いたが、軌道に乗り始めたのか夏のある日。


「こんなの作ってみたけどいいですか?(笑)」


と、見切り発車ですでに始めていたブログを見せられた。


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「…面白い(笑) いいよ、やっちゃえ♪」 


こけし写真を載せ、セリフを付ける。いうなれば1コマ漫画。
工芸品を遊び心満載で紹介する事に抵抗を持つ人、変わった事やると嫌がる工人さんもいるだろうな…と感じつつ、すぐにOKを出した。

が、

予想通り、面白おかしくネットで紹介する事を良く思っていない方もいた。

けれども、続けていくにつれてブログを見てくれているお客様も増えてきて、同時にジワリジワリと遠方からこけしの注文をしてくれたり、来館してくれるお客さんが増えて来た。

自分達と世代が似ている若い世代の人達だった。

それに伴い工人さん達も否定的な意見を言わなくなり、むしろ「頑張って紹介してくれ♪」 写真を撮っていると「またネット発信?(笑)」と言ってくれるようになった。


何かやれば反応がある。

ブログ以外にも真っ白だった津軽こけし館のイベントスケジュールを競い合うようにもう一人のワゲモノ佐々木さんと真っ黒に埋めていった。


そんな上昇気流にのり始めた矢先、東日本大震災が起きた。








つづく





****************************




最初に・・・・。
皆様スイマセン。。。この時期、新聞には超短くまとめたのですが書きたい事が沢山ありすぎて。。。
あとがき書くため2話編成にします(笑)
2話編成=長いって事です・・・・(笑)ここの話のあとがきだけで新聞10話分位出来そうな位でして・・・。





~あとがき/その壱~


―津軽こけし館をなんとかしてやる。

大学の時に専攻していた観光や街おこしに館する本をもう一度見直し、全国各地の街おこし成功例の事例を調べたりした。
軽音学部に入っていた時、色んなイベントに声を掛けてもらって立ち会ったけど、人に見てもらうにはちょっと違った演出や雰囲気も必要。そして、今で言う雑貨屋みたいな小売り業をずっとやってきた親からも商売のイロハを色々と聞いた。

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青森県金木町の地吹雪ツアーの本。地元の自分たちにとっては非常に困るものだけど、人によっては観光資源になる。
と、カッコつけて本を載せたけど自分が読む本は100冊中99冊はマンガです(笑) だけど、マンガで覚えた事多数あり♪


非日常的空間の演出
ウェイ・ファインディング
音楽、照明、香り…五感での演出
ディズニーランドの手法や世界観作り
レジャー、余暇、祝祭
小売の仕組みや業者との駆け引き
営業担当時代のアレコレ
そして、津軽こけし館は博物館でいくのか、観光施設でいくのか。


・・・とにかく「やってみる」「すぐ行動」「あるもの活かす」
―破壊王ヤマダ。津軽こけし館を壊しまくる。




売店部分、それまでこけしと少しのお土産を売っていた売店を3倍位に拡張した。
売っている商品も、観光土産品などを増やし品ぞろえも沢山に。


「こけし」を見せるだけの施設では限界がある。
色んな客層でも“見れる”ものを増やすために、視点を増やし津軽こけし館建設から始まり、純金こけしオーナー活動から売却までの経緯。 「津軽こけし館の歴史」「街おこし活動の結晶である津軽こけし館」も少しだけでも感じてくれるようなコーナーを作る。


音楽で非日常的空間、雰囲気の演出。
話しのタネにするため、今も流れている縄文語をイメージで唄っているという姫神の神々の詩に音楽も変えて、さらにイベントスペースでは雰囲気が変わるように違うBGMを流してみた。
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なんだ此処?何か違う。そんな空間を作ろうと思った。
良いか悪いかは別として観光施設で流れてるBGMに対して、話しかけてくる方とか中々いないと思うが、聞かれる事が多くなった。
来た事ある皆さん、こけし館のいつものあの曲。他の観光施設や博物館で流れている音楽なんて覚えてないけど、津軽こけし館=あの曲(笑)と頭に曲が残ってませんかね…?(笑)


絵付体験。絵付だけじゃなく、ビーズや光物のシール、接着剤とかも用意して、絵付だけじゃなく、こけしをベースにした工作体験もできるように。
そして、それまで隣の伝承工芸館の工房の職人さん達が学校や団体向けに行う津軽塗や陶芸の製作体験する時は、専門の会場があり、準備や設営が比較的やりやすい伝承工芸館で行っていたが、頼み込んで会場のセッティングは自分がやるからこけし館で出来る限りやってもらうようにした。どんな目的でも人が来ると売店を見てくれる。人が来ると賑やかな雰囲気に引き寄せられてまた人が来るからだ。


破壊活動はお客さん向けのモノだけじゃない
工人さん達の昼ご飯休憩の12時~13時という固定の時間、臨機応変、お客さんが途切れた時に変更してもらった。昼時、昼食利用する観光バスツアーが沢山来ており、その時、その方たちがご飯を食べた後昼時に見学に来るから。


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今は実演見ながら工人さんに話しかけれるが、昔の実演コーナーは全面ガラス張りで、脇から声かけないと工人さんと話すことが出来なかった。
今はコロナ禍で飛沫シートに形を変えてちょっと昔に逆戻り…(汗)


そして、社長も破壊活動に手を貸して協力してくれた。
実演コーナー、それまで上から下まで全面ガラス張りで、見ているお客さんとの壁があったが、お客さんに木屑が飛ばない程度までガラスをカットして、実演している工人とお客さんが話せるように。








絶対そのうち誰かに何か言われる・・・。
と覚悟はしていたが小島さんに怒られた。

週に2度、3度実演に来ると売店の配置やら、置いている商品の場所やら種類やらその都度変わって違う。
見慣れていた津軽こけし館の雰囲気が頻繁に変わり、なおかつ外面だけじゃなく、中身の部分をこうしたい、ああしたい。時にはこうやってみる事にしました。と連絡や相談なしに報告される。

管理運営は自分たちの会社で、工人さん達にはお金を支払って実演に来てもらっている立場ではあるが、津軽こけし館がOPENした頃からずっと津軽こけし館の事を見ていて、なおかつ工人さん達の会である工人会の会長も務めており、カリスマ的なリーダーシップを持っていた佐藤佳樹 前工人会長が亡きあと、その責任と歴史を背負っていた小島さん。言わなきゃいけない立場だった。


1つ鮮明に覚えている、小島さんにカミナリの如く大声で怒られた部分を一つだけ紹介。


「こけし館で・・・・漬物売るなァ!!!!!」


・・・・改めて、小島さんが正しい部分も沢山ある話だと思って見て欲しい(笑)

その時、怒号にビビッたが小声で反発した
「近所のおばあちゃん達…、漬物買いにこけし館に来てくれるようになったんですよ…。。。」

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こけしファンの方は誰もこのコーナーに興味持ってくれていないかもだけど。。。このコーナーにも思い入れがある。
意地で売り続けた売店での漬物・・・。レイさんもたまに買って帰る(笑)



言い訳を続けると、もちろん破壊活動ばかりしていたんじゃない(笑)
工人さん達の話を聞いて、どうすればお互い良い形になるか沢山話を聞いた。
時には会社に交渉して、工人さん達にとっての収入源の確保や津軽こけし館でもっと工人をバックアップできる体制を整えたりもした。


そして、作り手の人っていうのは、自分の作品を自分で押してPRするのを躊躇ったりする。
自分がマスコミ各社に上手く紹介するから取材対応して欲しいと、季節もの作品など報道機関にプレスリリースして新聞社やラジオ局などに取材に来てもらった。

他にも、今では1か月に数回実演に来ているが、当時山谷レイ工人は本人含め、作品も津軽こけし館にほとんど置いてなかった。
理由を聞いてみると、恥ずかしがり屋のレイさん、最初は冗談を言っているのかな…と思っていたけど、
お店に納品する時のやり方や値段の設定、これまでりんご栽培などこけしと違う他の仕事がメインで、こけしに関しては収集家の人に頼まれた時くらいしか製作していなかったらしく、お店に置いて販売するノウハウが全然わからなかったらしい。そしてレイさん車の免許&車が無くイロイロするにも足がない。

話しを聞いて徐々に打ち解けていって、おせっかいだったかも知れないけど、
「レイさん、信用してくれるなら、ウチの方で色々考えてやってみてあげようか??」と声を掛け、アッシー君にも名乗りを上げた。
自信があるが自分の車に一番回数多く載っている女性はレイさんだ(笑)
そして、レイ工人の作品もコツコツ津軽こけし館の売店に並ぶようになった。



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2012年、第3回目の時のひなこけし展フライヤー。
イラストや題字は、現在津軽こけし館のWEBSHOP等でも販売しているが2020年に “こけし図譜” を執筆したイラストレーター佐々木一澄さんにデザインしてもらった。

イベントや企画も沢山実施した。
この時期から始めて、それが経験で今では形を変えて行っているイベント等も沢山あるが、今でも原型を残して開催しているのが、楽しい、ひなこけし展や故人の中古こけし販売コーナー「ハローわーくコーナー」

こけし以外のイベントや企画でいうと、
ねぷた絵師の八嶋龍泉さんの作品展示会
川柳家 北野岸柳さんの書道作品展
東北の湯治場写真展 湯治場原風景展などなど。。。


展示系のイベントが多い?
なぜかというと、。日中対応できるスタッフが自分1人しかいないからある程度接客せずとも放置して開催出来るイベントしか出来なかったんです・・・(苦笑)



そして、その環境のおかげでスタッフがいないながらもプチイベントを開催する方法も見出した。
期間限定で作家さんや職人さんに作品をもって現地に来てもらい販売会をしてもらう「1日限定出店」とか「1日限定出張販売」とか。
自分が接客しなくても、作家さんが接客してくれる。
そして、宣伝や告知も自分のみじゃなく、作家さんも協力してくれる。
さらに言うと、こけし館に人が来るとその作家さんも助かる訳で、同時開催しているイベントや企画も一緒に宣伝してくれる。そんな半強制的に運命共同体を作り上げる一石二鳥な誰かに来てもらう出張販売系のイベント手法。


怒られる事は多かったけど。。。
小島さんはこういったイベントや展示のために夜な夜な準備している姿を良く気にかけてくれて「無理しない程度に早く帰れ~(笑)」と声をかけてくれたり、いざOPENした時には誰より興味深く見てくれて、
「そういえば、あそこの施設であんなのやってたけど、参考にすればいいんじゃね~」
とちょっと照れくさそうにたまにアドバイスをしてくれた。


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昔の売店。
工人フェスとかやっている奥のイベントスペースで4か月ほど売店 をやってみるが、人が入って来にくくやはりダメだと場所を戻した。


やったこと全てが上手くいったわけでは無い、怒られて挫けて諦めた事もあった。
だけど、四方八方とにかく色んな部分に手を出していき、津軽こけし館を変えていった。




少しづつ、少しづつ。。。。
結果が付いてきて客足も増えてきた。





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津軽こけし館から車で5分、紅葉の名所 中野もみじ山。
京都の嵐山から移植した紅葉の木があり、その所以から小嵐山・中野もみじ山とも呼ばれている。


―話は変わり、津軽こけし館に配属されて1年と数か月後の2009年。
この時期、青森県内の観光施設、宿泊施設などはその経済効果を期待して気運が高まっていたものがあった。2010年12月の東北新幹線全線開業。青森まで新幹線がやってくることに。

自分たちの会社もこの機を逃すまいとこの頃から色々な準備をし始めた。

ある日、社長が新幹線開業を見据えてか。。。
社名を変えると言い出した(笑)
それまで自分たちの会社は(株)弘南ビジネス(こうなんビジネス)という社名。
何でも事務用品屋みたいな感じで堅苦しいから、観光施設を手掛ける会社らしく夢がある名前にしようとの事。


今、津軽こけし館の通販等で津軽こけし館のゆうちょ口座にお金を振り込む時に会社名を見た事がある方。
始めてみた時、この会社大丈夫な会社かな・・・と怪しく思った人はいるかもしれない(笑)

津軽で最高に元気がある企業
津軽を再考し再興する集団
お客様から「津軽に行こう!」津軽弁で言うと「津軽さ、行こう!」と来てもらえる施設。

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今の名刺。社名を見るとたまに失笑されるけど、自分は結構好き(笑)


最高、再考、再興、最耕。再光、そして「さ、行こう!」 意味はイロイロ。
自分が勤める会社は名前を変えた、
社名は株式会社ツガルサイコー。



さらに新幹線開業に向けて事業拡大。
開業する新青森駅に黒石焼きそばの専門店「黒石や」をオープンさせる。
こけし館近く、車で10分ちょっとの山間部にある少子化により廃校になった旧大川原小学校を買い、観光施設「お山のおもしぇ(おもしろい)学校」としてリニューアルOPEN。


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旧大川原小学校、お山のおもしぇ学校。当初プールで釣り堀をやろうと社長は計画していた。
そして、実験がてら魚を離してみたが、プールで使用していた時の塩素成分が染みついて残っていたらしくお魚達をやってしまい断念…(苦笑)


さらに、これまで周辺5つの温泉を相称して黒石温泉郷と呼んでいたが、小嵐山・黒石温泉郷と名称を変え、津軽こけし館、津軽伝承工芸館、道の駅虹の湖屋台村、お山のおもしぇ学校と周辺に複数の観光施設を営業している自分たちの会社が事務局を務め、周辺のグリーンツーリズム団体、ウォーキング団体、旅館組合、こけし工人会など周辺地域の団体と一緒に小嵐山・黒石温泉郷活性化協議会という街おこし団体を作った。

さらには、津軽こけし館建設活動に協力していたメンバー達がもう一度結集して、新幹線が来た時にもう一度津軽こけし館を盛り上げようと日本一の高さのジャンボこけし製作の話が持ちあがりだす。


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新幹線が来る2010年12月の完成を目指し2010年夏頃から始まった日本一の大きさのジャンボこけし製作。
工人さんや地元の支援者、地元の子供たちにも製作協力してもらって製作された。


そんな、新幹線に向けた取り組みが始まり、その活動に協力/助言するため自分たちの会社に大学の先生が出入りし始めた。地元青森ではトップクラスの大学の地域社会学の先生。街おこしとか、限界集落問題などを専門にしていたY先生。
そして、Y先生に付いてきていたゼミ生らしき若い女の子が一人。

どんな女の子なのかウワサ話を聞くと、岩手出身、馬の牧場の娘。現在大学4年生、馬術部所属。
街おこしに興味アリ。そして、いつか馬車運行で街おこしをしたいという野望持ちの女子。

自分のようなワゲモノ応援者でもあった社長。
若い子のそういう夢があふれる話が大好き人間・・・(笑)
そして、自分に教えてくれた「すぐ行動」「やってみる」の元祖。


女の子に来年から此処で働かないかと声をかけて、さらには、知り合いのツテを辿り、馬に詳しい人を見つけて、その人と一緒に北海道に行き・・・・

社長は北海道から馬を買ってきた。。。(笑)



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北海道恵庭市産、ハフリンガーと道産子のハーフの子。凛(りん)ちゃん。
2008年6月13日生まれの月毛の牝馬


その頃の自分。新幹線ムードというより、来館者が増えてきた事や、手広くやり始めたイベントの準備や企画で自分の事で手一杯状態。
だけど、営業時代から続けてきた思い入れのあるチビッ子キャンプイベント。
唯一働く場所が替わり、こけし館担当になってもやり続けていて、これだけはやらないと。と思い、こけし館を切り盛りしながら、冬休みのチビッ子キャンプのネタを考えていた。

そんなチビッ子キャンプ。
ある時は科学の先生を呼んでサイエンスマジックショー、
大学の大道芸サークルに声を掛けて、大道芸パフォーマンスやバルーンアートの体験。
地元のそば打ち名人を呼んでのそば打ち体験などなど。。。
たかが子供向けのイベントと思うかも知れないけれども、このイベントのおかげで色々な人に頼んで何かやる。面白い人、技能がある人を活かして何かやる。その経験は後々自分の知識や知恵になり、人脈にも繋がっていて大事にしていた。



そういえば・・・と思いついた。来年から走らせるという馬車。
そうだ、おそらく馬車のお客さんもチビッ子が多くなるだろうし、地元の子たちにも馬車運行を知ってもらうためにチビッ子キャンプの時に呼んで何かやってもらったら、こっちも助かるし、あっちも助かるかも♪・・・よしっ!半強制的運命共同体手法♪



それまで、軽い挨拶程度で2人でゆっくり話した事もなかったけど、出入りしていた女の子に声を掛けた。

チビッ子キャンプってイベントやっていて、何か馬車関係の事やらないかな…?地元の子たちも参加するしこれから活動するうえで色々良い事あるかも♪と。

女の子は承諾してくれた。

購入した馬は輸送待ちでまだいなかったけど、温泉郷に走らせる馬車はどんな馬車が良いか子供たちにイメージ画を描いてもらい馬車の絵のコンテストをしたり、雪の上を人力でソリを引っ張りクイズを行う“人馬力クイズ大会” そんな事を一緒に計画した。

そして、キャンプが始まる前に、子供たちに親しみやすいように、覚えやすいように、と女の子にあだ名をつけた。

「う~む。。。。。馬で佐々木牧恵だから・・・・ウマッキー!」

戦友、佐々木牧恵さんことマッキーとの出会い。






by tsugarukokeshi | 2021-08-08 20:44 | ヤマダ絵日記 | Comments(2)
Commented by saramama at 2021-08-08 21:02 x
きたきた!まきえさん!
りんちゃん、かわいかったなぁ。
馬車、楽しかったよ~。
Commented by tsugarukokeshi at 2021-08-09 07:13
> saramamaさん
来ましたマキエさん(笑) 思い出しながら書いてたらこの時期色んな事があり過ぎて長くなってスイマセン💦 そして、実は大学でディズニーの手法を少し勉強しておりました(笑)なんだか娘さんと縁があるヤマダです(笑)