人気ブログランキング | 話題のタグを見る

津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐


津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_16362808.jpg
10年近くぶりに地元紙に登場した馬車運行の写真。少し前に運転手さん(笑)に連絡とった時に「ウチのエッセイで津軽新報に超久しぶりに写真載るけどいいよね?(笑)」と聞いたら喜んでくれた♪ いつかもっと力をつけて津軽こけし館のイベントで呼んで凱旋運行してもらうつもり

思いついたらやってみる、即行動。
という事で、観光客向けにこけし以外の商品も扱うようになり、これまでと違う客層を呼び込むためこけし以外のイベントを沢山やってみた。

津軽こけし館の運営管理企画などにも昔からのやり方があったと思う。それはわかっていたが、こちらにもやらなきゃいけない立場や想いもある。

ーシャッターは閉めさせない。

僕はいろんな部分の外見やら中身の部分、津軽こけし館を壊しまくった。





配属された当時、長年、工人会の会長職だった佐藤佳樹工人が亡くなった後で、工人会長は小島俊幸工人。
来るたびに変わりまくる館内や、やり方を見てあまりの変貌ぶりに頭に血が昇ったようで、何度もカミナリを落とされた。


「歴代で一番ひどい担当者だ」


とまで言われたのを僕は今でも根に持って覚えている(笑)。
津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_21342204.jpg
ダースベイダーの曲と共に登場させたい小島敏幸工人(笑)・・・当時の自分にとって乗り越えなければいけない最大の壁でもあった(笑)
だけど…。う~む。。。この話の続きはまた今度。。。。



そんなすったもんだを繰り返しながら、徐々に来館者数が増えた事もあり、数年後、新卒のスタッフを増やすことになった。

年は近く3つ下、初めての部下というか、初めての戦友でもあり、後々、今や津軽こけし館の代名詞とも言われるブログ“こけし絵日記”の創設者、佐々木牧恵さんだった。


弘前大学で限界集落問題に取組み、街おこしに興味あり。
将来は実家の馬牧場を継いで何かしたい、こけし館で働きながら、周辺の温泉街に馬車を走らせ賑わいを創出したい。

何と言うか、自分と似ていた。

津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_21054943.jpg
馬車運行は2010年5月から2013年3月頃まで津軽こけし館周辺地域で行われた。馬を引っ張っていた御者(ぎょしゃ/馬を運転する人)は20代前半の女の子、佐々木牧恵さんことマッキー。


そんな佐々木さんが配属されて数か月、もう一つの仕事であった馬車や馬の世話が軌道に乗らず、結局一人でこけし館を切り盛りする日が続いたが、軌道に乗り始めたのか夏のある日。


「こんなの作ってみたけどいいですか?(笑)」


と、見切り発車ですでに始めていたブログを見せられた。


津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_21251120.jpg



「…面白い(笑) いいよ、やっちゃえ♪」 


こけし写真を載せ、セリフを付ける。いうなれば1コマ漫画。
工芸品を遊び心満載で紹介する事に抵抗を持つ人、変わった事やると嫌がる工人さんもいるだろうな…と感じつつ、すぐにOKを出した。

が、

予想通り、面白おかしくネットで紹介する事を良く思っていない方もいた。

けれども、続けていくにつれてブログを見てくれているお客様も増えてきて、同時にジワリジワリと遠方からこけしの注文をしてくれたり、来館してくれるお客さんが増えて来た。

自分達と世代が似ている若い世代の人達だった。

それに伴い工人さん達も否定的な意見を言わなくなり、むしろ「頑張って紹介してくれ♪」 写真を撮っていると「またネット発信?(笑)」と言ってくれるようになった。


何かやれば反応がある。

ブログ以外にも真っ白だった津軽こけし館のイベントスケジュールを競い合うようにもう一人のワゲモノ佐々木さんと真っ黒に埋めていった。


そんな上昇気流にのり始めた矢先、東日本大震災が起きた。








つづく



****************************



※ワゲモノの放課後⑤「こけし絵日記」その壱でもお知らせした通り、この時期語りたい事山ほどあり、あとがき書くために2回に分けて掲載します!長いですがお時間ある方暇つぶしに(笑)見てください♪


~あとがき その弐~


自分でウマッキーと名付けながら、いつの間にかさらに短縮してマッキーと呼ぶようになった佐々木牧恵さん。
協力して手伝ってもらったチビッ子キャンプも無事に終わり年が明けた2010年、東北新幹線全線開業の年。

初めて開催したひなこけし展が好調だった確か2月か3月頃。
またしても社長からお呼びがかかった。

―新幹線開業に合わせた県の観光活性の補助事業で、小嵐山黒石温泉郷活性化協議会でマキエさん含め数名雇用することになった。その人達の拠点事務所を津軽こけし館にする。とのお達し。


・・・何でも、地域住民の願いから建設活動が始まって出来た津軽こけし館。
この地域に住む人達は街おこしの結晶=津軽こけし館のイメージもあり、活性化協議会の事務所にするならピッタリだとの事。
そして、協議会の事務局を務めるのは自分たちの会社で、自分はツガルサイコーの社員だけど、マキエさん達は協議会で雇用することになり正式にはツガルサイコーの社員ではない。
が、自分たちの会社でやっている、例えば黒石焼きそばの販売やPR、津軽こけしの販売やPR、周辺のグリーンツーリズム団体と協力して行っている修学旅行生の受け入れや誘致、今度から行う予定の馬車運行なども黒石温泉郷全体の活性化にもつながっている事だから、簡単に言うと会社の仕事を協力してやってもらいつつ、より一層周辺の旅館や周辺の資源を活かして温泉郷全体にも効果があるように色んな企画やイベントを仕掛けて街を盛り上げていくとの事。

さらに、その当時自分の役職は課長(こけし館売店の店長)級だったが役職を上げ、「津軽こけし館部」だった自分の部署名を変更するとの事。



津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_13414264.jpg
津軽こけし館は地域住民がボランティアでこけし資料館建設運動をスタートさせ、展示するこけしを各地から集め出した事がきっかけでオープンする事になった施設。
地元の人にはとっては伝承工芸館より10年以上歴史がある津軽こけし館の方に愛着を持っている人が多かった。


いろんな事が一度にイッパイ降りかかる。。。。

まずは、新部署名、ひらがなで紹介したい。
くろいしやまがたちくしゅうへんかんこうきょてんぷろもーしょんじぎょうしつ けん つがるこけしかんぶ

ながっ・・・(笑)


津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_12315309.jpg
そもそも、小嵐山・黒石温泉郷活性化協議会に自分入ってないけどいいんですか…?と先輩部長に聞くと、お前入っている事になってるよ(笑)言ってなかったっけ???と
後日「使ってちょうだい(笑)」と名刺を渡されたが、協議会に何も聞かれなかったが所属したことになっておりさらにプロデューサーだったらしい。。。(笑)

自分の部署は、黒石山形地区周辺観光拠点プロモーション事業室 兼 津軽こけし館部。
そして、その部署の室長兼店長になることになった。

続きの話を聞くと、活性化協議会でマキエさん以外にも数名雇用するけれども普段全員がこけし館の事務所にいる訳じゃなくて、常時いるのは自分で、マキエさんが1日の半分はこけし館、半分は4月から始まる馬車運行や馬の仕事との事。
残りのメンバーはそれぞれだけど、例えば伝承工芸館で黒石焼きそばの調理やPR活動を経験させつつ、約8か月後に新青森駅にオープンする黒石焼きそば専門店「黒石や」で焼きそばを観光客に売り込んでもらう。。。。などなど。

そして、マキエさんの業務は、日中ずっ~と馬の世話がある訳ではないので、一日の半分はこけし館で仕事をしてもらうから、簡単に言うとマキエさんがお前の部下みたいなものだ。
いずれは半日以上こけし館にいて仕事出来るように、馬の助手にヌカガ君というこれまで伝承工芸館の会場設営や外回りの整備などを行っていた男の子も津軽こけし館に配属させて馬の仕事をマキエさんと一緒にやってもらいつつ、マキエさんから教えてもらい、徐々に馬の世話係の仕事はヌカガ君にスイッチする予定。
ただし、これまで働いていたミキナリ君はヌカガ君がやっていた外回りや会場設営等の仕事に部署異動させるとの事。

配属されるマッキーとヌカガ君についてのさらなる説明。
4月からの2週間~3週間の間、週に数回は秋田県北秋田市、阿仁で馬車運行している馬に詳しい人の所に勉強に行かせ、GWから黒石温泉郷で馬車運航初める予定とのこと。


頭が追い付かない自分の様子を見て、社長はさらに付け加えた。
佐々木さんとヌカガ君、馬の世話とか馬車運行で抜け出す時間はあるだろうけど、会計とか電話応対とかも出来る3人いる訳だから、きっとヤマダ&ミキナリ君の1.5人態勢よりは確実にお前も楽になるはずだ♪との事。


なるほど。。。。

確かに何とかなりそうで自分も人手が増えるのは確かなので助かるかも。。。。んっ・・・?
馬の話しばかり聞いていたけど、黒石山形地区・・・・・なんとか事業室の室長として自分の仕事って具体的に何ですか・・・?と、仕事内容を聞くと

「街とば元気にすることだ!こけし館の仕事を頑張っている事も街を元気にすることに繋がる!」

社長から言われた事は後にも先にもこれだけだった・・・(笑)




自分が馬を扱う訳ではないけれども。。。
「こけし」と「馬」。。。コレって共存共栄出来るものなのか。。。
そんな不安な苦笑いをする自分に社長がもう一言。

津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_12324638.jpg
当時、お馬の凜ちゃんの放牧場の場所として候補が上がっていた津軽こけし館脇の芝生スペース。
此処に放牧出来れば良かったけれども、後々色んな問題が発生し断念。。。。放牧場は伝承工芸館奥にある別なスペースに。


「タクロー、こけし館となりの芝生スペースの所に日中の放牧場を作ればマキエさんも馬の様子見に行きやすいだろうし、小さい子とか連れて家族連れで見に来るかもしれないぞ(笑)・・・そんだ!こけし館でニンジンでも売ったらどうだ?(笑)」

とニヤニヤと言っており、こけし館近くにファミリー牧場?的な場所が出来る・・・。

それもまぁ・・・・面白いかも(笑)

どんな人でも良い、とにかく沢山の人に津軽こけし館に来てもらう、そう思って色々やってきたら結果がコツコツついてきた。
ニンジン本当に売ってみようかな・・・♪


いや・・・!
「ニンジン売るなぁ!!!!」と小島さんに絶対怒られる・・・。もうちょっと考えよう。。。。

不安な部分もあるけれど、ちょっと楽しそうと自分も夢が広がった。



津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_12340637.jpg
お馬の凜(りん)ちゃん、メス。
社長は後々、日中の馬の世話の部分はヌカガ君に引き継いで任せて、マキエさんにはもっと津軽こけし館の仕事や街おこし関係の仕事に比重を置いてやってもらうようにすると言っていた。
ただ、社長は馬車の運行/運転手だけはマキエさんにやらせる、とずっと言っていた。
なんでだろう。。。と最初思っていたが。社長は “若い女の子が温泉郷を盛り上げるために馬車を引っ張っている” そんな、若い女の子の馬車運行を話題性として打ち出したかったんだ、と後々気付く。


4月新年度。マッキーとヌカガ君が配属される。
これまでミキナリ君は居たけれども、週に4日のみで1日4~5時間程度のみ。
始めて正式な部下というか、フルタイムでこけし館のオープンからクローズまで一緒に仕事出来る仲間が増える!
伸びてない状態のカップ麺も食えるだろうし、お客さんの問いかけや電話対応できる人も増える、・・・もっと色々な事手を出せる!!!

1人で向き合っていた色々な問題や仕事に立ち向かってくれる部下や仲間が出来ると自分もドキドキしつつ、気持ちが高ぶりウキウキしていた♪


よっしゃ!!! 新生!津軽こけし館スタート!!!
津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_12440098.jpg
・・・・だったはずが(汗)


・・・あれっ?
4月1日以降、毎日では無いにしろ3人居るはずだけど、1人の時間が長い。
お馬の凛ちゃんの体調やご機嫌に左右される事もあり、マッキー達馬車チームが中々来ない。。。。
そして、週に何度か秋田に修行に行っているけど帰りも遅く、帰ってくるのは当たり前のように閉店後の夜。

4月中旬、徐々に桜の開花の予報が出だし青森は観光シーズンに。
お客さんも徐々に増え始めたけど、以前より1人で切り盛りする時間が長い・・・。
秋田への修行も予定より長引いており、連休に修行を終えて戻ってくるのかも目途が立たず、さすがに1人だけでは込み合うGW乗り切れないと思い、「社長。。。前よりさらに人手が少なくなってる気がしてしょうがありません。。。(笑)」と、他の部署へと配置転換されたミキナリ君をいったん津軽こけし館に戻してもらう事に。

わずか1週間~2週間で元通りのヤマダ&ミキナリ君体制になる・・・(笑)




そんな、落ち着かない時期。
バタバタな時期でも気になったこけし業界の話題が一つ。

KOKESHI BOOK ~伝統こけしのデザイン~

津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_21054480.jpg
本の帯には「かわいいつもりなのにおもしろいカオがズラリ。こけしの味わいは尽きません。」とさくらももこさんのコメントと、さくらももこお気に入りのこけしと表記され掲載されていたこけし写真の一番右側にはある津軽系のある工人作品が…

1冊の本が販売されることを知った。
簡単に内容を調べると今までのこけしの本ではあり得ないであろうカラフルなピンクの表紙。
興味を持って津軽こけし館でも取り寄せてみた。

斬新なカラーの表紙、そして本の帯にはちびまる子ちゃんで有名な漫画家さくらももこさんからのコメント。
げっ!さくらももこさんおススメの載っている津軽系こけしの写真。
小島さん作品でもなく、阿保さん作品でもなく、健三さん作品とかでもなく・・・金ちゃん!?
今までスポット当たる事なんてめったに無かったのに。。。

中身を読んでみた。
今までのこけし本は文字が多くて自分も最初あまり見る気が起きなかったが、POPな表現で読みやすい。
そして、これまでのこけし本と違い固いイメージではなく、明るい。。。そしてオシャレ。

すごい…、この本。これまでの本と全然違う視点。
・・・攻めまくってる!!

作ったデザインユニット COCHAE(コチャエ)の軸原さん達ってどんな人だろう。。。。どこかしら雲の上の存在に思えていた。

津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_13300827.jpg
GW後半から始まったマッキーの馬車運行。子供達が沢山乗りに来ていた。

そして、GWの前半は間に合わなかったがGW後半。
秋田での修行を終え、伝承工芸館周辺でマッキーたち馬車チームによる馬車運航が手探り状態だけど始まった。
ドタバタだったけど、チビッ子キャンプに参加もしてくれていた近所の子たち、観光客や周辺に住む子連れのファミリー層も乗りに来てくれて課題も沢山あったけど盛況だった模様。(←詳しくは聞いただけで自分はミキナリ君とこけし館で奮闘中でほぼ見に行けず(苦笑))

明治、大正時代にも黒石温泉郷を走っていたという馬車が復活し、22歳の女の子による小嵐山・黒石温泉郷の馬車運行が始まった。




ーそしてお客さんの波も落ち着いたGW明け。
改めて会社で今後についての会議が開かれた。
新たに始めた新事業、新規雇用したり部署異動して1か月ほど働いてもらったスタッフ達の適正など人事の事も含めた会議。

会議が進み、津軽こけし館の部分でいうと、馬車に携わる人が同じ部署にいると何かあった時2人一気に抜けなきゃいけないから、ヌカガ君を元居た部署に戻し、そして、代わりに18歳のカトウ君という男の子を配属させるとの事。



津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_13443367.jpg
配属された時「加藤くん、よろしくね!」と明るく声をかけると、「・・・・はい(コクリ)。」という感じの男の子。
打ち解けるまで時間がかかったが、あの手この手で絡んで、たまに笑ってくれたり、自分のふざけた絡みにも徐々にこたえてくれるように(笑)
ちなみに、今現在も伝承工芸館で働いてる子です♪

カトウ君=特技は力仕事。
ただ、接客はお世辞にも得意ではなく(笑)最近の人で言うとラクビ―の稲垣選手のような全く笑わない男だった(笑)
そして、カトウ君は1週間フルで腰を据えてこけし館に所属させるから、マキエさんの所属は津軽こけし館のままにするけど、馬車の仕事や馬の世話も軌道にのってないから今はマキエさんをアテにするな、との事。



津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_12341092.jpg
馬車運行は土日やGW、夏休み、秋の行楽シーズン、イベント時のみ行う事に。
但し馬車運行をするためには、平日もある程度運動させてトレーニング等をしなければいけないとの事だった。



ーGW明けから始まった新体制。

津軽こけし館の事を怠けていたわけでは無かったので、カトウ君にこけし館の仕事を教えながら自分で企画したイベントの準備や事務処理をして日中を過ごし、夕方遅くに帰ってくるマッキーの馬の話や困った事を聞いて、専門的な部分はわからないけど、出来る限り話を聞いて自分が力になれそうな部分は相談に乗った。

もちろん馬の話だけをした訳では無く、こけし館やこけし工人、イベントのやり方、売店のやり方、自分の知っていた事、やって来た事、津軽こけし館のアレコレを教えたりして、何処まで教えたり、やってもらってよいのかわからなかったけど、マッキーにもこけし館の売店のレジ作業や補助的な仕事などを教えた。


津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_14314359.jpg
レジ立っている姿で持っている写真コレしかなかった(笑)たぶん2011年~2012年頃のマッキー?
売店もこの当時レイアウトが今と少し違っていた。


そんなマッキー。
改めて馬の事や馬術部時代の話を聞くと、馬術部=馬に乗る。
というイメージでいたが、早朝から馬の餌やりやら引馬運動、日中や夕方にも餌の世話や厩舎の掃除など結構な重労働。

そして一緒に仕事をしていてわかったこと。
マッキーが卒業した弘前大学といえば青森でトップクラスの大学で、勉強も出来る子なんだろうなと思っていたが、やたらと事務仕事や文章製作などの仕事が出来る。
なぜか聞いて見たら、何でも馬を管理するためには非常にお金がかかる訳で、馬術部もOBからの寄付金等で成り立っているそうで、定期的にOBの方々との交流会的なものを開いており、その事務や連絡の文章の作成などを良く担当してやっていたとの事。
そして、支援してくれるOBの方々は会社の社長とか学校の先生とか、結構なお偉いさんで収入等も安定している方が多く、いつの間にかそういった方々に対応するうちに、事務仕事や文章作成の仕事が身についてしまったとの事。
さらに言うと寄付金だけ集めて切り盛りしているわけでは無く、部員の部費も学生生活を圧迫する額ですこぶる高く、バイトもしなければいけず、服屋でバイトしたり、観光客向けの津軽三味線が聞ける居酒屋でバイトしたり、それが終わると馬の世話。。。。
部室に泊まり込む事もしばしばあったとの事。

・・・馬術や馬術部。
優雅なイメージに見えていたが、優雅でやっている人もいるがそれは一部で、馬にハマった事で自分の生活をキツキツ状態にしないといけない人もいると話を聞いてわかった (笑)
環境を聞いたらお嬢さんという感じでは無く、苦労人。

津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_13304431.jpg
津軽こけし館から山間部へ車で10分ちょっと。廃校になった小学校をリニューアルしたお山のおもしぇ学校。
お馬の凜ちゃんはここで寝泊まりする事になった。


そんなマッキーの1日。
平日は朝来たら、こけし館には立ち寄らずヌカガ君と合流し伝承館に置いてある馬運車にのって、お山のおもしぇ学校に作った凛ちゃん用の厩舎に直行、餌を食べさせる。
朝ごはんタイムが終わったら凛ちゃんを馬運車に載せて、伝承工芸館近くに作った放牧場に連れて行き少し運動させる。
凛ちゃんを放牧して10:30頃マッキーはこけし館に。
主には売店での接客作業などをしてもらい15:00頃こけし館から出て行き、
凛ちゃんを放牧場から馬運車に載せて再びお山のおもしぇ学校へ。17:00頃にこけし館に戻ってくる。


津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_12332626.jpg
コンテナを改造して作ったお山の学校の凜ちゃん厩舎。
大川原地区の方の中には昔、馬を飼っていた家などもあり凛ちゃんの厩舎を置くことに地区の方からも理解があった。

土日はお客さん向けの馬車運行日。
朝はこけし館に来て掃除や馬車の準備をして9:30位に津軽こけし館を出て行って、日中はお客さん向けの馬車運行。
そして、16:00位に帰ってくる。

本当であればこけし館の事をもっと頼んだりしたかったけど、マッキーはマッキーで毎日の業務の入れ替わりが激しくハードワーク。
そして、自分は馬に関しての知識は聞いた限りで実務的な部分で協力出来ることはほぼ無し、というか増やし続けたこけし館の業務だけでも手一杯状態。

そんなマッキーとの話、自分がするこけし館の話しや工人の話し、こけしの話し。マッキーはどう思っていたかわからなかったけど。。。
自分は馬の話しや馬車の話しを聞くのは知らない事を知る機会になり、学生時代どんな事をしていたか等聞くと同じく街おこしとかに興味をもって専攻して勉強していたのでとても面白かった。
同じ所で働きつつ、別な職種だけどお互い情報交換だけは沢山しているような仲。


津軽こけし館の事ももっと頼んでみたいと思っていたものの、深い仕事を教えてもいざとなった時、凛ちゃん関係で居ない時もあると引っかかる部分もあり、社長からアテにするな。とも言われているし、こけし館の仕事を頼んで良いのか悪いのか、どういう扱いで接すればよいのかわからなくなっていた。




ーそして時が進み7月のある日。

2人で残って仕事をしていた。
自分はこけし館の何かしらの仕事をしていた時。
馬関係の仕事をしているのかな…と思っていた向かいのデスクに座っていたマッキーが話しかけて来た。

「・・・室長(笑) 実はこんなの作ってみたんですけどどうですかね?(笑)」とパソコン画面を見せられた。


津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_14490202.jpg

今はパワーアップして数枚の写真にいくつかセリフを付けて掲載している絵日記だけど、当社は1枚の画像に1つか2つのセリフを載せる簡単なものだった。…けど!この当時は自分が知っている限り、誰もこんなやり方でこけしを紹介してなかった時代だった。


こけし絵日記 ~津軽こけし館のめごこ達~ というブログ。
既に2度、3度更新されていたものだった。


馬や馬車の仕事で頭が一杯だろうなと思っていたが、マッキーは自分が話していたこけし館やこけし業界の話もちゃんと聞いてくれており、マッキーなりにこけし館の仕事の事も考えてくれていた。


ブログを見て、ニヤニヤ笑いつつ、肌にはポツポツ鳥肌、心の奥からジワジワ込み上げてきたものがあった。



ー馬の仕事が軌道にのってきて少し落ち着いてきたんだ!

こけし館の事も出来るようになってきたって事だ!
だけどそもそもブログやりますなんて会社にも起案書出して許可取ってないし、工人さん達にもこうやってお客さんに紹介するからって事前に言ってない。
ヤマダ=そういうのを勝手にやりすぎて目を付けられている真っ最中の人で怒られた事多数あり。。。
だけどまぁ・・・・、いっか!何か言われたら自分が叱られよう!!!
何より・・・♪

「面白い・・・! いいよ、やっちゃえ!(笑)」

少しモジモジとブログを見せて来たマッキーもなんと言われるか不安だったかも知れない。
けれども打ち消す位、面白いじゃん!とベタ褒めした(笑)

元をたどると馬術部でやっていたブログ、たしか「ウマグ」というブログの話しが出来て来た。
馬の写真を載せて「マキエ―!メシー!めし― 」と馬にセリフを付けて遊びながら馬術部や馬の事を紹介していたらしい。


共存共栄することは難しいのではと思っていた「こけし」と「馬」
喋れないという共通点をマッキーが結びつけて出来たモノ。


津軽こけし館初代ブログ
こけし絵日記 ~津軽こけし館のめごこ達~ が始まった。

津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_21412521.jpg
確か最初に見せられたのはこのブログだったと思う。ニヤニヤ恥ずかしそうにマッキーは見せてきた(笑)
そして、昔のブログを見直すとどれも馬の仕事が終わって帰って来てからブログ書いていたから毎日更新時間は閉店後の遅い時間。
・・・・今も大変だけど、あの頃も2人で頻繁に遅くまで残って仕事していたなぁと思い出す…(苦笑)



たぶん、マッキーも何処かしら馬の仕事でこけし館の仕事に手を出せて無くて申し訳ない。
自分も馬の事協力出来てなくて申し訳ない。
お互い、遠慮しあっていたけれども、マッキーが絵日記を始めてくれたおかげで糸が解けてった。
解けてった。という表現よりお互いの導火線に火が着いた!



それからの動き出しはどちらも早かった。
こけし館の仕事の事や自分ではこんな事やって来た。こんなこともやってみたいと思っている。
マッキーだってこけしに拘らず違う事だってこけし館でやっても良いんだから、との話をしたら遠慮していたのか「自分もいいんですか?(笑)」と少し喜んだような感じ。

そんな膨らんできた話の中で、マッキーが思い付いた馬術部のOBの方で美術の先生をしている方がおり、馬の絵を描く方がいるとの事。
「そうそう、そういった方に声かけてさ・・・♪こんな感じの条件で頼んでみたら展示会とかやってみたいって言うかもよ♪」
とトントン拍子で話が繋がり開催する事になったマッキーの馬術部の先輩OB 一戸義規さんの“馬の絵の絵画展”
その年から7年~8年の間、津軽こけし館で秋時期に開催するご長寿イベントになり、その絵画展をやった事が自分たちスタッフにも良い経験となり、そして県内外に住む作家さんにも“津軽こけし館で展示会をやっている=展示会が出来る”と参考例としてPRすることが出来、その他の絵画展、写真展、作品展示会の開催などにも繋がるキッカケとなった。


津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_12382369.jpg
2010年から始まった馬の絵の展示会。2017年頃まで9月から10月上旬まで開催しており、それまで絵画を扱った事は無かった自分もこの展示会のおかげで色々な事を学んだ。


ある程度の人員もそろったし、マッキーもアテに出来ると思い、自分も一気にやりたい部分を広げてみた。
こけし館の業務と並行してザックリ指示を受けていた「街を元気にすること」


津軽こけし館のHPを開設したり、通信販売や地方発送できるように運送会社と交渉。
ツイッターを始めたり、ショッピングカートも作ってみた。

そして、インターネットで発信ばかりしていても、近所の人達や年配の人達がこの地域の新幹線開業に向けた取り組みや旅館や自分たち観光施設がどんな事をやっているかわかってない。
それだと来た方を十分にもてなし出来ない、デジタルばかりじゃ駄目で地元の人達にも自分たちの街の魅力や取り組みを知ってもらうアナログな何かもやらなきゃと思い、手書きのフリーペーパーの新聞を作り始めた。

若者で小嵐山に風を吹かせてみたい、そんな思いをタイトルに込めた。


フリーペーパーのタイトルは「ワゲモノの嵐」

津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_12391955.jpg
内容は温泉郷でやっている取り組みの紹介や、温泉郷のイベント、旅館や魅力のあるお店の紹介、地域の人達の似顔絵付きの紹介、マッキーに協力して書いてもらったエッセイ、そして一番手がかかった4コマ漫画(笑)

そんなワゲモノの嵐、自分なりのこだわりがあった。
記事やイラストを書くのは自分。パソコン不可で手書きで全部書いて津軽こけし館周辺の世帯に配る分、800部を白黒コピーする。
そして、装飾。
カラーコピーとかでは無く1枚1枚色鉛筆で見出しを軽くカラフルに色塗りをして作っていた。
さらに、配布方法。
新聞折り込み等すれば早い訳だけど、津軽こけし館周辺の800世帯。
1件1件歩いて回りポスティングして回りつつ、地域の人に逢っては挨拶や世間話をしながら「こんにちは~、良かったら見てください~♪」渡していった。


伝えるには、頑張っている姿見てもらったり、手間を掛けなきゃ伝わるものも伝わらないとの思っての事。


大変だった製作や配布活動、中でも色塗りは地味だけど時間と労力がかかるものだった。
そんな作業、全部一人でやったかというと、そうではない。


津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_12401251.jpg
子嵐ヤマ団とかってに名付けた子達のうちの2人。RくんとJちゃん。
この子達以外にSくんと言う子もいて、他にも沢山いたけど3人とは特に仲良くなり色々な事を手伝ってもらった。

津軽こけし館に配属されて約2年。
周辺に住むチビッ子たちの中にはチビッ子キャンプに参加していた子たちもおり、自分がこけし館に配属されたら土日になるとヤマちゃ~ん、ヤマダく~んと地元の子が頻繁に遊びに来るようになっておりそんな子達と仲良くなっていた。
さらに拍車をかけたのがマッキー。
馬車を引っ張るマッキーもチビッ子たちの人気者になり、自分やマッキーが居る津軽こけし館は近所の子たちのたまり場になっていた(笑)

ジュースとお菓子あげるから♪と呼びかけ、ちょっとだけ塗り絵やってくか~?

と今で言う、なんとか詐欺みたいな感じで800枚の色塗り作業、周辺地域のポスティング800件も周辺地域のチビッ子たちを巻き込んで一緒に行った♪


津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_13191507.jpg
最後のこだわり、製作、取材、4コマ、記事作り、そして配布活動も全て10代20代のみのワゲモノでやっていた。
確か3~4か月に1回位のペースで作って2年~3年位の続けて行った。確かVOL.8位まで製作。




一方、マッキーが書くブログは閲覧人数もコツコツ増えて来て、
見ている人からコメントで嬉しいメッセージや面白おかしく絡んでくれるメッセージが寄せられるようになっていた。

津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_12403309.jpg
阿保金光(あぼ かねみつ)工人こと、通称:金(きん)ちゃん。阿保六知秀工人の弟で正文工人のおじさん。
え~と。。。。 とても個性的?・・・・独特なな作品を作る方だった(笑)

そんな中、自分たちも、いくつか見ていたこけしブログがあった。
特に当時良く見ていたのが、こけし絵日記の読者でもあった名前が出てこないが確かHさんが書いていた
「わたしのこけしはよいこけし」

ある時、Hさんのブログで金ちゃんの作品が紹介されており、そのブログを見ると…

「もしかして下手・・・(笑)? だけど恐いもの見たさというか、謎多い工人さんで面白い子や絶妙に可愛い子がいて楽しい作品♪」

そんな感じの決して非難している訳ではなく親しみあふれる感じの作品評価をブログに書いていた。

昔、エロカッコいいとか、キモカワイイとかそんな言葉が流行ったが、褒める意味での「下手可愛い&下手おもしろい」そんな感じのニュアンス。

マッキーと二人で、残業の合間にそのブログを見て、
「Hさん・・・、下手ってネットに書いちゃったよ…(苦笑)」
と二人で笑ったのを覚えている。


そして、ある日、Hさんから連絡が入り、こけし絵日記で登場させた金ちゃんのこけし顔が描かれた当て独楽を通販で購入してくれた。

さらに、数日後Hさんのブログ企画で、いつもブログを見てくれる読者プレゼント企画ということで、コメントで応募してくれた人全員で金ちゃん当て独楽を使った抽選を行い当たった方に抽選に使った金ちゃん当て独楽を無料プレゼントするという企画を行った。


津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_13103441.jpg
金ちゃんのあてゴマ。確か抽選はこれと同タイプで数字が書かれている部分にHさんが申し込み者の名前を書いた手作り用紙を上張りして特製ルーレットにして当選者を決める。という感じで抽選は行われた。

自分たち津軽こけし館から買ってくれた当て独楽こけしだったけど、ネタも含めて津軽こけし館でも応募してみよっか?(笑)とマッキーと話になり津軽こけし館でも応募してみた。

Hさんもまさか購入先の津軽こけし館からの応募に驚いたのか、ブログ記事でも「なんとこの当て独楽を購入した津軽こけし館からも応募が・・・(笑)」とブログで取り上げて書いてくれて、Hさんのブログのコメント欄はブログを見ている人のコメントで盛り上がっていた。

そして、抽選日。その方のブログに予定の時刻に抽選動画が掲載された。

狙ってやった事では無くガチの抽選で当選確率は確か15分の1とかそれ位だったはず。。。

・・・が!

まさかまさかの津軽こけし館と書かれた部分に回した独楽が止まりウチら津軽こけし館が当選(笑)

「・・・ヤバい。。。ネタで応募したのにウチらが景品当選しちゃった(笑)」

と、マッキーと二人で失笑しながら話し合い、Hさんに連絡を取り、自分たちに当たったけど他の人に譲る、ただし、こちらで当選者指定させてもらうという事で、ウチらと同じくコメント欄に投稿して申し込んでいた “こけしを買った事がないけど、作品可愛いしブログ面白いので申し込んでみました♪”的な感じでとコメントして応募していたこけし初心者の方を指定させてもらい景品を譲った。

サプライズな申し込み&ミラクルな出来事、そして自分たちで言うのも何だけど粋な計らい(笑)
コメント欄では色んな人から、面白かった、良い抽選会だった、こけし面白いなどなど盛り上がっていたが、実際に何人の人が見ていたのかわからないが、その出来事があったからか、津軽こけし館のブログはアクセス数が日に日にアップしていき、コメントも以前に増して届くように。

今、SNSはインスタやフェイスブック、ツイッター等でその評価はフォロワー数やいいねの数とかだろうけど。
その頃はコメント数が自分たちの評価に感じていた時代。

マッキーが書くこけし絵日記は津軽こけし館閉店後の夜、小さな津軽こけし館の事務所から日本全国に飛び出していった。




ー2010年秋、ブログも好調で自信が付き、アレやったら面白い、コレやったら盛り上がる。
そんな話から自分やマッキーはとにかく色んな事を創り出して仕掛け始めた。





ーこけしだけじゃない。黒石焼きそばだけじゃない。
津軽地方で食べられる独自な食べ物に目を付けた。
津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_13030676.jpg
伝承工芸館のレストラン「もみじ」の料理長に頼んでイガメンチ定食を開発してもらって期間限定販売企画。





ー縁もないけど、電話で事務所に連絡したら絶対断れるはず…と、
無地のこけしと、お礼替わり兼描くときのサンプル替わりに1本差し上げますと津軽系こけし工人が作ったこけしも入れつつ、自分的に精一杯心と熱意を込めた手紙を書いて、とある事務所に荷物を送った。

津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_12452322.jpg
宛先は金ちゃんのこけしを気に入っているというさくらももこさん所属事務所。
数日後、事務所の方から連絡が来て、「さくら先生、プレゼントにもらったこけし作品とても喜んでいて時間はかかるかも知れませんが描いてくれるようです♪」とさくらももこさんが絵付したこけしも津軽こけし館のアートこけしコレクションコーナーに仲間入り。






ー配属された当初、“現役工人達の作品の売れ行きにも影響がある” “自分の作品が販売されると空しい”などなど。。。
津軽こけし館では販売するには大きな壁や反対意見があり販売することが出来なかった中古のこけしや故人の作品。
津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_13130244.jpg
売上の収益を、若手工人の育成やこけしの普及宣伝活動に使う基金にするという事で何とかある程度の承諾や賛同を得て設置した
中古こけしの預かり販売コーナー「こけしのハローわーく」のスタート。



津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_13120669.jpg
そして、この活動で得た収益基金で、地元の小学校の卒業記念製作として“こけしのタイムカプセル製作”という企画も行った。
それから8年後の一昨年。タイムカプセルの中身を当時の6年生たちに引き渡した時、Rくん、Sくん、Jちゃん始めあの時良く来ていたメンバーみんな大人になっていたがとても喜んでいた。







ー街おこし活動を行う人達との交流。
形は違えど黒石でゆるキャラを使って街おこしする団体のリーダーと連絡をとって、数回ご飯を食べに行き…、
リーダー曰く「クロイシックス=6人もキャラ居るから、住ませる場所がなく&魂役になってくれる協力者がいないと活発的に活動出来て無くてさ(笑)」
との話を聞き、自分たちが頑張って精力的に活動させます!という事で・・・・

津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_12432165.jpg
彼女をこの時期頃から津軽こけし館に居候させることに(笑)





ー当時、同じくこけしブログを書いていつつ、女性3組でこけしの旅をテーマにしたリトルプレス「こけしの旅の本」の発行や、
こけしで遊ぶイベントを企画していた“仙台こけしぼっこ”さんに連絡をして交流しつつ・・・
津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_20501344.jpg
今では沢山の作家さんが製作したこけし雑貨を扱っているが、津軽こけし館で初めてとなる作家さんが作ったこけし雑貨の取扱いを始める。





ーそして、この時期新たに津軽こけし工人会に仲間入りしたワゲモノが一人。

津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_12581836.jpg
阿保正文工人が、津軽こけし工人会に入会し、津軽こけし館で実演製作デビューすることに。


津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_13024174.jpg
そんな年も近い正文さんにも協力してもらいつつ、マッキーとも連携し、ハロウィンの時は子供達向けにハロウィン仕様にしたカボチャの馬車運行とこけし館でお手製ハロウィングッズのワークショップを組み合わせたイベントなども開催した。


津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_13131216.jpg
「トリック・ア・トリート!!!」
近所のお祖母ちゃんたちにハロウィンを説明し、お菓子配布にも協力してもらう!






ー冬に始めた津軽こけし館Xmasイベント。
せっかくなので、津軽こけし館館内だけのイベントでは無く同時企画として応援してくれた地域の人に恩返ししようという事で

津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_10132637.jpg
チビッ子たちにサンタさん姿でお母さんたちから預かったXmasプレゼントの無料配布サービスも行った。





ーさらに、津軽こけし館に新しく仲間入りした子が一人。
高さ4.2195メートル。日本一の高さのジャンボこけし。
高さは昔、津軽こけし館建設活動の一環で始まった街おこしイベント「こけしの里マラソン」からマラソンコースの42.195キロに合わせたもの

津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_12594618.jpg
館内に設置する前、搬入時の貴重な姿(笑)
「ぐわぁあぁぁぁ・・・・!」と声が聞こえてきそうなこの子も何とか立ち上がり仲間入り!







ーそんな怒涛の2010年秋を終え、2010年12月。
東北新幹線全線開業、新青森駅オープン。
津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_12401986.jpg
2010年12月オープンした新青森駅 黒石焼きそば専門店「黒石や」
10年位、青森の玄関口に看板を掲げて黒石市と黒石焼きそばをPRし続けたが昨年、新型コロナウイルスの影響で惜しくも閉店した。



激動の秋時期を終えた津軽こけし館や自分やマッキー。
冬場、オフシーズンのため土日の馬車運航も休みになり、馬の世話はあったけどイベント日以外の土日の馬車運航が無くなり、マッキーがこけし館にいる時間が少し長くなっていた。
新青森駅で黒石焼きそば専門店「黒石や」の営業も始め、自分やマッキーも研修で1日焼きそば店を手伝いに。
新幹線効果は上々で観光客で賑わっていた。



ブログでの通信販売も少しづつ軌道に載り始め、こけしファンの人達との交流はより活発化してきた。
年が明け、初挽き、ひなこけし展も前年よりかなり好調。
2月に開催した小嵐山・黒石温泉郷雪まつり「雪のふるさと」では沢山の雪だるまが立ち並び、マッキーの馬車が雪景色の中をパカポコ走り、寒くて中に入ると津軽こけし館のひなこけしでほっこり温まる。
そして、冬の夜空、小嵐山・黒石温泉郷に小さいながらも花火も上がり、温湯温泉街では日本一のこけし灯篭祭りも初開催された。

津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_20502188.jpg
津軽こけし発祥の地、温湯温泉で開催された日本一のこけし灯篭祭り。
一番大きな灯篭はジャンボこけしを超える7m級のものだった。



そんな好調だった1年、そして事業拡大した1年。
東北ディズティネーションキャンペーンで次年度4月以降の団体予約も沢山入っており、
次年度から新卒で新しい人材も雇用予定、より増えるであろうお客さんへの対応に向け新年度に向けた人事の会議をまた行う事に。


自分達の部署は安定してきたけど他の部署でも沢山の事を手掛けているからなぁ・・・と不安に思っていたが、
予想は当たりお達しされた、どうしても他部署で力持ちの男手が必要になったということで、力持ちのカトー君を他部署に異動させるとの事。

ただし!高校卒業した女の子3人位採用するから、その中から一人津軽こけし館に配属させる。
そして、カトウくんを異動させる代わりにその中からこけし館スタッフになる子をお前に一番最初に選ばせるとの事。

津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_13221048.jpg
部署異動する際に正文さんに作ってもらいカトウくんにプレゼントした似顔絵こけし。
ちなみに力仕事以外にどんなことをさせるつもりなのか聞いたら「この地区で育てた蕎麦や黒石やで使う焼きそば麵づくりをやってもらい会社の自家製麺を作ってもらう!」との事。カトウくん=ラクビ―の稲垣選手のような感じの人物(笑)確かに職人気質な雰囲気で力持ちなので麺づくり似合ってて上手そう…あっているかも…(苦笑)
と最初は異動を拒んだがカトウ君の事を活かそうとしっかり考慮しての事だったので了承する。



ーそして、時が進み高卒予定の女の子の面接日。
自分、社長、兄貴分の3部長の内の2人も立ち合い確か4人で面接会場に座っていた。
初々しい女の子3人に社長が簡単に挨拶をした後、3人に社長が伝えた面接内容。


「それじゃあ面接始めまーす!それぞれ一番自分が出せる大きな声で“はいっ!”って言ってみてください!」


3人可愛く初々しいながらも大きな事でハイっ!と言い終わった後。



たぶん高校生は「・・・えっ(笑)」と思ったけど、自分たち社長以外のスタッフも驚いてたんです…。

社長は席を立って「社長は今の「はいっ!」だけで全てわかりました!」とウチらの方を見て「じゃあ、あと聞きたいことあったらお前たちで聞いておいて」との事(笑)


「はい!」だけ聞いて、社長の面接おしまい(笑)

まさか面接をフラれると誰も思っていなく質問あまり考えていなかったものの、3人にいくつかの質問をした。



面接後、自分が選んで津軽こけし館に来ることになったのは、
小柄だったこともあるかもしれないが「はい!」の声は多分一番小さかった、だけど話しを聞くと真面目そうで生徒会の仕事などをしていたという女の子。


津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_09342459.jpg
ワゲモノの嵐用に書いたヤマダ的2011年4月からのスタッフ3人似顔絵。
サツキの似顔絵自分的には結構似ていると思う会心の作♪ ちなみに19歳と書いているけど入社した時は18歳です♪

鎌田さつきちゃん18歳。通称:さっちゃん。
後々、自分と一番長い間津軽こけし館で仕事を共にするスタッフになった。





ー時が進み年度末。
4月からはさっちゃんが配属され新体制になりつつ、観光シーズンに突入するというある日。
津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐_e0318040_12405002.jpg
その時期に開催していた第2回ひなこけし展。
今とは比べ物にならないほど会場の雰囲気が単調だけど、0から始めてここまで持ってくるにはすごく大変だった(汗)
やり始めた当時、冬場はお客さんが少なかった時期だが地元の人や観光客からとても好評で、少しづつ少しづつパワーアップして冬のイベントとして定着させ、今年12回目の開催をした。

異動を控えたカトー君は確かお休みの日で、自分とマッキー2人で津軽こけし館を2人で切盛りしており、製作実演は小島さんだった日。
隣の伝承館ではまもなく正式採用予定のさっちゃん達が、アルバイト扱いで、数日間会社全体の仕事を少しづつ経験してもらうという事で、その日はレストラン部でウエイトレスとかの研修を受けていた。



―昼下がりに急に大きな揺れ。


マッキーと2人で「なんだ、なんだ?」となり、慌てながらも「とにかく何か落ちて来たり倒れて来ても危ないし、お客さんに外に出てもらおう」となり、館内に居るお客さんを誘導した。

非難している時、入り口付近で足を止めていたおばあちゃんがいて、他のお客さんが出ずらい状況になっていた。

おばあちゃんは腰が抜けたとか驚いている訳ではなく、「大丈夫ですか?外にいったん出ましょう」と言ったら「私、兵庫から来て阪神大震災経験したからこれ位は大丈夫」と言っていた。

マッキーと2人で「なるほど…(苦笑)」と少し納得したその時の様子、今でも鮮明覚えている。



ー自分そして、マッキー。
やれば何かが起こる。頑張れば応援してくれる人が増える。ブログやツイッターのおかげで日本全国の人と繋がりが出来て来た。
大変だけど、イベントや企画、対応を頑張ってやった後の結果や達成感。そして、お客さん達の声。
たぶんその楽しさや嬉しさにハマっており、仕事は増すばかりで大変だったけどそれを打ち消す楽しさがあり、津軽こけし館は上昇気流に乗っていた。


自分と似ていて勢いでイロイロと始める怒られそうな部下というか仲間が増えた。
守る立場にもなった事もあったけど、1人でやっているんじゃない。
そんな背中を合わせて多方面に攻撃を仕掛けをする仲間が出来て、
さらに4月からは27歳の自分に、23歳のマッキー、さらに18歳の子が入ってきて、ウチら合わせても平均22.6歳。


社長が言っていた「とにかくやってみる」「すぐにやる」嘘では無かった。
自分達でも何か出来る。少しは風を吹かせれる。
ワゲモノだって街や津軽こけし館の力になれる!と感じていた矢先


2011年3月11日、東日本大震災が起きた。








by tsugarukokeshi | 2021-08-18 20:33 | ヤマダ絵日記 | Comments(0)