津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑤ 「こけし絵日記」その弐




自分でウマッキーと名付けながら、いつの間にかさらに短縮してマッキーと呼ぶようになった佐々木牧恵さん。
協力して手伝ってもらったチビッ子キャンプも無事に終わり年が明けた2010年、東北新幹線全線開業の年。
―新幹線開業に合わせた県の観光活性の補助事業で、小嵐山黒石温泉郷活性化協議会でマキエさん含め数名雇用することになった。その人達の拠点事務所を津軽こけし館にする。とのお達し。
・・・何でも、地域住民の願いから建設活動が始まって出来た津軽こけし館。
この地域に住む人達は街おこしの結晶=津軽こけし館のイメージもあり、活性化協議会の事務所にするならピッタリだとの事。
そして、協議会の事務局を務めるのは自分たちの会社で、自分はツガルサイコーの社員だけど、マキエさん達は協議会で雇用することになり正式にはツガルサイコーの社員ではない。
が、自分たちの会社でやっている、例えば黒石焼きそばの販売やPR、津軽こけしの販売やPR、周辺のグリーンツーリズム団体と協力して行っている修学旅行生の受け入れや誘致、今度から行う予定の馬車運行なども黒石温泉郷全体の活性化にもつながっている事だから、簡単に言うと会社の仕事を協力してやってもらいつつ、より一層周辺の旅館や周辺の資源を活かして温泉郷全体にも効果があるように色んな企画やイベントを仕掛けて街を盛り上げていくとの事。
さらに、その当時自分の役職は課長(こけし館売店の店長)級だったが役職を上げ、「津軽こけし館部」だった自分の部署名を変更するとの事。

いろんな事が一度にイッパイ降りかかる。。。。
まずは、新部署名、ひらがなで紹介したい。
くろいしやまがたちくしゅうへんかんこうきょてんぷろもーしょんじぎょうしつ けん つがるこけしかんぶ
ながっ・・・(笑)

自分の部署は、黒石山形地区周辺観光拠点プロモーション事業室 兼 津軽こけし館部。
そして、その部署の室長兼店長になることになった。
続きの話を聞くと、活性化協議会でマキエさん以外にも数名雇用するけれども普段全員がこけし館の事務所にいる訳じゃなくて、常時いるのは自分で、マキエさんが1日の半分はこけし館、半分は4月から始まる馬車運行や馬の仕事との事。
そして、マキエさんの業務は、日中ずっ~と馬の世話がある訳ではないので、一日の半分はこけし館で仕事をしてもらうから、簡単に言うとマキエさんがお前の部下みたいなものだ。
いずれは半日以上こけし館にいて仕事出来るように、馬の助手にヌカガ君というこれまで伝承工芸館の会場設営や外回りの整備などを行っていた男の子も津軽こけし館に配属させて馬の仕事をマキエさんと一緒にやってもらいつつ、マキエさんから教えてもらい、徐々に馬の世話係の仕事はヌカガ君にスイッチする予定。
配属されるマッキーとヌカガ君についてのさらなる説明。
4月からの2週間~3週間の間、週に数回は秋田県北秋田市、阿仁で馬車運行している馬に詳しい人の所に勉強に行かせ、GWから黒石温泉郷で馬車運航初める予定とのこと。
佐々木さんとヌカガ君、馬の世話とか馬車運行で抜け出す時間はあるだろうけど、会計とか電話応対とかも出来る3人いる訳だから、きっとヤマダ&ミキナリ君の1.5人態勢よりは確実にお前も楽になるはずだ♪との事。
馬の話しばかり聞いていたけど、黒石山形地区・・・・・なんとか事業室の室長として自分の仕事って具体的に何ですか・・・?と、仕事内容を聞くと
自分が馬を扱う訳ではないけれども。。。
「こけし」と「馬」。。。コレって共存共栄出来るものなのか。。。
そんな不安な苦笑いをする自分に社長がもう一言。

「タクロー、こけし館となりの芝生スペースの所に日中の放牧場を作ればマキエさんも馬の様子見に行きやすいだろうし、小さい子とか連れて家族連れで見に来るかもしれないぞ(笑)・・・そんだ!こけし館でニンジンでも売ったらどうだ?(笑)」
いや・・・!
「ニンジン売るなぁ!!!!」と小島さんに絶対怒られる・・・。もうちょっと考えよう。。。。

4月新年度。マッキーとヌカガ君が配属される。
これまでミキナリ君は居たけれども、週に4日のみで1日4~5時間程度のみ。
始めて正式な部下というか、フルタイムでこけし館のオープンからクローズまで一緒に仕事出来る仲間が増える!
伸びてない状態のカップ麺も食えるだろうし、お客さんの問いかけや電話対応できる人も増える、・・・もっと色々な事手を出せる!!!
よっしゃ!!! 新生!津軽こけし館スタート!!!

・・・あれっ?
4月1日以降、毎日では無いにしろ3人居るはずだけど、1人の時間が長い。
お馬の凛ちゃんの体調やご機嫌に左右される事もあり、マッキー達馬車チームが中々来ない。。。。
そして、週に何度か秋田に修行に行っているけど帰りも遅く、帰ってくるのは当たり前のように閉店後の夜。
4月中旬、徐々に桜の開花の予報が出だし青森は観光シーズンに。
秋田への修行も予定より長引いており、連休に修行を終えて戻ってくるのかも目途が立たず、さすがに1人だけでは込み合うGW乗り切れないと思い、「社長。。。前よりさらに人手が少なくなってる気がしてしょうがありません。。。(笑)」と、他の部署へと配置転換されたミキナリ君をいったん津軽こけし館に戻してもらう事に。
わずか1週間~2週間で元通りのヤマダ&ミキナリ君体制になる・・・(笑)
そんな、落ち着かない時期。
バタバタな時期でも気になったこけし業界の話題が一つ。
KOKESHI BOOK ~伝統こけしのデザイン~

1冊の本が販売されることを知った。
簡単に内容を調べると今までのこけしの本ではあり得ないであろうカラフルなピンクの表紙。
興味を持って津軽こけし館でも取り寄せてみた。
斬新なカラーの表紙、そして本の帯にはちびまる子ちゃんで有名な漫画家さくらももこさんからのコメント。
げっ!さくらももこさんおススメの載っている津軽系こけしの写真。
小島さん作品でもなく、阿保さん作品でもなく、健三さん作品とかでもなく・・・金ちゃん!?
今までスポット当たる事なんてめったに無かったのに。。。
中身を読んでみた。
今までのこけし本は文字が多くて自分も最初あまり見る気が起きなかったが、POPな表現で読みやすい。
そして、これまでのこけし本と違い固いイメージではなく、明るい。。。そしてオシャレ。
作ったデザインユニット COCHAE(コチャエ)の軸原さん達ってどんな人だろう。。。。どこかしら雲の上の存在に思えていた。

秋田での修行を終え、伝承工芸館周辺でマッキーたち馬車チームによる馬車運航が手探り状態だけど始まった。
ドタバタだったけど、チビッ子キャンプに参加もしてくれていた近所の子たち、観光客や周辺に住む子連れのファミリー層も乗りに来てくれて課題も沢山あったけど盛況だった模様。(←詳しくは聞いただけで自分はミキナリ君とこけし館で奮闘中でほぼ見に行けず(苦笑))
ーそしてお客さんの波も落ち着いたGW明け。
改めて会社で今後についての会議が開かれた。
新たに始めた新事業、新規雇用したり部署異動して1か月ほど働いてもらったスタッフ達の適正など人事の事も含めた会議。



そんなマッキー。
改めて馬の事や馬術部時代の話を聞くと、馬術部=馬に乗る。

そんなマッキーの1日。
平日は朝来たら、こけし館には立ち寄らずヌカガ君と合流し伝承館に置いてある馬運車にのって、お山のおもしぇ学校に作った凛ちゃん用の厩舎に直行、餌を食べさせる。
凛ちゃんを放牧して10:30頃マッキーはこけし館に。

朝はこけし館に来て掃除や馬車の準備をして9:30位に津軽こけし館を出て行って、日中はお客さん向けの馬車運行。
本当であればこけし館の事をもっと頼んだりしたかったけど、マッキーはマッキーで毎日の業務の入れ替わりが激しくハードワーク。
そんなマッキーとの話、自分がするこけし館の話しや工人の話し、こけしの話し。マッキーはどう思っていたかわからなかったけど。。。
ーそして時が進み7月のある日。
「・・・室長(笑) 実はこんなの作ってみたんですけどどうですかね?(笑)」とパソコン画面を見せられた。

今はパワーアップして数枚の写真にいくつかセリフを付けて掲載している絵日記だけど、当社は1枚の画像に1つか2つのセリフを載せる簡単なものだった。…けど!この当時は自分が知っている限り、誰もこんなやり方でこけしを紹介してなかった時代だった。
既に2度、3度更新されていたものだった。
馬や馬車の仕事で頭が一杯だろうなと思っていたが、マッキーは自分が話していたこけし館やこけし業界の話もちゃんと聞いてくれており、マッキーなりにこけし館の仕事の事も考えてくれていた。
だけどまぁ・・・・、いっか!何か言われたら自分が叱られよう!!!
何より・・・♪
「面白い・・・! いいよ、やっちゃえ!(笑)」
少しモジモジとブログを見せて来たマッキーもなんと言われるか不安だったかも知れない。
けれども打ち消す位、面白いじゃん!とベタ褒めした(笑)
馬の写真を載せて「マキエ―!メシー!めし― 」と馬にセリフを付けて遊びながら馬術部や馬の事を紹介していたらしい。
共存共栄することは難しいのではと思っていた「こけし」と「馬」
喋れないという共通点をマッキーが結びつけて出来たモノ。
津軽こけし館初代ブログ
こけし絵日記 ~津軽こけし館のめごこ達~ が始まった。

たぶん、マッキーも何処かしら馬の仕事でこけし館の仕事に手を出せて無くて申し訳ない。
自分も馬の事協力出来てなくて申し訳ない。
お互い、遠慮しあっていたけれども、マッキーが絵日記を始めてくれたおかげで糸が解けてった。
解けてった。という表現よりお互いの導火線に火が着いた!
それからの動き出しはどちらも早かった。
こけし館の仕事の事や自分ではこんな事やって来た。こんなこともやってみたいと思っている。
マッキーだってこけしに拘らず違う事だってこけし館でやっても良いんだから、との話をしたら遠慮していたのか「自分もいいんですか?(笑)」と少し喜んだような感じ。
「そうそう、そういった方に声かけてさ・・・♪こんな感じの条件で頼んでみたら展示会とかやってみたいって言うかもよ♪」

ある程度の人員もそろったし、マッキーもアテに出来ると思い、自分も一気にやりたい部分を広げてみた。


ジュースとお菓子あげるから♪と呼びかけ、ちょっとだけ塗り絵やってくか~?


特に当時良く見ていたのが、こけし絵日記の読者でもあった名前が出てこないが確かHさんが書いていた
そして、ある日、Hさんから連絡が入り、こけし絵日記で登場させた金ちゃんのこけし顔が描かれた当て独楽を通販で購入してくれた。

自分たち津軽こけし館から買ってくれた当て独楽こけしだったけど、ネタも含めて津軽こけし館でも応募してみよっか?(笑)とマッキーと話になり津軽こけし館でも応募してみた。
Hさんもまさか購入先の津軽こけし館からの応募に驚いたのか、ブログ記事でも「なんとこの当て独楽を購入した津軽こけし館からも応募が・・・(笑)」とブログで取り上げて書いてくれて、Hさんのブログのコメント欄はブログを見ている人のコメントで盛り上がっていた。
そして、抽選日。その方のブログに予定の時刻に抽選動画が掲載された。
狙ってやった事では無くガチの抽選で当選確率は確か15分の1とかそれ位だったはず。。。
サプライズな申し込み&ミラクルな出来事、そして自分たちで言うのも何だけど粋な計らい(笑)
コメント欄では色んな人から、面白かった、良い抽選会だった、こけし面白いなどなど盛り上がっていたが、実際に何人の人が見ていたのかわからないが、その出来事があったからか、津軽こけし館のブログはアクセス数が日に日にアップしていき、コメントも以前に増して届くように。
今、SNSはインスタやフェイスブック、ツイッター等でその評価はフォロワー数やいいねの数とかだろうけど。


ー配属された当初、“現役工人達の作品の売れ行きにも影響がある” “自分の作品が販売されると空しい”などなど。。。


ー街おこし活動を行う人達との交流。





ー冬に始めた津軽こけし館Xmasイベント。


ーそんな怒涛の2010年秋を終え、2010年12月。

10年位、青森の玄関口に看板を掲げて黒石市と黒石焼きそばをPRし続けたが昨年、新型コロナウイルスの影響で惜しくも閉店した。
激動の秋時期を終えた津軽こけし館や自分やマッキー。
冬場、オフシーズンのため土日の馬車運航も休みになり、馬の世話はあったけどイベント日以外の土日の馬車運航が無くなり、マッキーがこけし館にいる時間が少し長くなっていた。
新青森駅で黒石焼きそば専門店「黒石や」の営業も始め、自分やマッキーも研修で1日焼きそば店を手伝いに。
ブログでの通信販売も少しづつ軌道に載り始め、こけしファンの人達との交流はより活発化してきた。
年が明け、初挽き、ひなこけし展も前年よりかなり好調。


ーそして、時が進み高卒予定の女の子の面接日。
自分、社長、兄貴分の3部長の内の2人も立ち合い確か4人で面接会場に座っていた。
初々しい女の子3人に社長が簡単に挨拶をした後、3人に社長が伝えた面接内容。
たぶん高校生は「・・・えっ(笑)」と思ったけど、自分たち社長以外のスタッフも驚いてたんです…。
社長は席を立って「社長は今の「はいっ!」だけで全てわかりました!」とウチらの方を見て「じゃあ、あと聞きたいことあったらお前たちで聞いておいて」との事(笑)
「はい!」だけ聞いて、社長の面接おしまい(笑)

ー時が進み年度末。

隣の伝承館ではまもなく正式採用予定のさっちゃん達が、アルバイト扱いで、数日間会社全体の仕事を少しづつ経験してもらうという事で、その日はレストラン部でウエイトレスとかの研修を受けていた。
―昼下がりに急に大きな揺れ。
マッキーと2人で「なんだ、なんだ?」となり、慌てながらも「とにかく何か落ちて来たり倒れて来ても危ないし、お客さんに外に出てもらおう」となり、館内に居るお客さんを誘導した。
非難している時、入り口付近で足を止めていたおばあちゃんがいて、他のお客さんが出ずらい状況になっていた。
おばあちゃんは腰が抜けたとか驚いている訳ではなく、「大丈夫ですか?外にいったん出ましょう」と言ったら「私、兵庫から来て阪神大震災経験したからこれ位は大丈夫」と言っていた。
ー自分そして、マッキー。
やれば何かが起こる。頑張れば応援してくれる人が増える。ブログやツイッターのおかげで日本全国の人と繋がりが出来て来た。
大変だけど、イベントや企画、対応を頑張ってやった後の結果や達成感。そして、お客さん達の声。
たぶんその楽しさや嬉しさにハマっており、仕事は増すばかりで大変だったけどそれを打ち消す楽しさがあり、津軽こけし館は上昇気流に乗っていた。
自分と似ていて勢いでイロイロと始める怒られそうな部下というか仲間が増えた。
守る立場にもなった事もあったけど、1人でやっているんじゃない。
そんな背中を合わせて多方面に攻撃を仕掛けをする仲間が出来て、
社長が言っていた「とにかくやってみる」「すぐにやる」嘘では無かった。
2011年3月11日、東日本大震災が起きた。