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津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑥ 「ハマギクの花」


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順調だったこけし館だったが、震災直後、全くお客さんは来なかった。

お客さんが来ない、工人さんにも仕事が来ない、何とかしなきゃ。
そして、同じ東北で被害を受けた人達の応援も何とかしたい。

そんな想いから黒石市の姉妹都市でもある岩手県宮古市支援のための義援金付きのこけし企画を立ち上げた。
工人に描いてもらう花は宮古市の花ハマギク、


震災から10日後の事。
花言葉は「逆境に立ち向かう」

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六知秀工人、本間工人、金ちゃん、正文工人、小島工人、健三工人、レイ工人。
7名の津軽系工人が宮古市の花ハマギクを描いたミニサイズのこけしを製作してくれた。

その後600体分の義援金を持ち、こけし館周辺の地区である山形地区の協議会長も務めていた阿保六知秀工人と一緒に山形地区と親交があった宮古市重茂地区へ企画で集めた義援金を届けに行った。

帰った後、被災地の姿を見てしまい、一息つく前に今後も継続して支援は続けなきゃいけないよね。
という話になり、それまで会った事がない方、話した事がない方含め、東北各地の工人さんに比較的被害が少なかった津軽から皆さんの作品を紹介したい、同時に若いファンを増やして今後何十年後でもこけし業界が元気でありつづけるように若い方に人気の小さいこけしイベントを開催したい。

そんな一筆添えた案内を出し、ミニこけしを集めた“ポケットこけしパークへようこそ!”イベントを企画した。

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2011年7月30日~8月21日まで/うれし!たのし!!こけし!!!ポケットこけしパークへようこそ! 通称ポケこけ1回目の開催

参加可否の返信ハガキに、福島県の80代の工人さんから「震災と原発でこけしが全く売れません。このような企画の案内を頂き本当に感謝しています。ありがとう」と出品OKの脇にヨボヨボの字で添えられていたのを見て、さらに心に火が付いたのを覚えている。

そして、徐々に津軽にはお客さんの足も戻ってきた震災から1年後、小島さんから
「(福島県の)土湯温泉の陳野原さん達の所、旅館とか閉めちゃった所が沢山あるみたいで大変みたいでよ。なんか土湯を応援する企画とか考えられないか…?」と言われた。

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2011年7月。福島県で開催された美轆会の20周年記念祝賀会。六知秀工人と一緒に参加した際訪ねた土湯温泉。震災の影響で沢山の旅館が被災して閉館していた。
今年の10月に予定されている30周年の記念展示会を最後に解散予定。

陳野原工人は、全国各地の工人が集まった会“美轆(みろく)会”の会長でもあり、美轆会が出来たきっかけは津軽こけし館で開催された若手工人フェス。20年程前に当時若手だった工人さん達が集まり結成した会で、付き合いが長い仲間の事を小島さんはすごく心配していた。もちろん、津軽こけし館としても会長はじめ会員の方、そして土湯の工人さん達にはすごくお世話になっていた。


此処でも思い立ったらすぐ行動。土湯温泉観光協会の方と連絡を取り合い、土湯と津軽をコラボしたチャリティー企画を行った。


支援金を一緒に福島に渡しに行った時、小島さんすごく喜んでいた。
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2回目のチャリティーこけし企画は津軽と土湯のコラボ企画。
福島の名物でもあた果物「モモ」をテーマに支援金付きのミニこけしを製作した。

当時、震災の影響で全国各地の人の目が東北に向いていた事もあったが、色々とコツコツやってきた活動は手ごたえが感じられ、確実にこけしファンの方は増えていった。

今では、年に数回全国各地の催事に津軽こけし館と津軽系工人とタッグを組んで参加しているが、県外催事への参加も震災後から始めた新たな試みであった。




つづく




****************************





あとがき

3月11日(金)東日本大震災が起きた。

津軽こけし館でお客さんを避難させていると、確か数分後に停電した。
その後何かで情報が入って来て、宮城県沖で大きな地震との事。

ん??宮城って言うと、確か伝承工芸館のスタッフが黒石焼きそばの販売でB級グルメイベントに参加しにいっていたはず。。。。



焼きそばチームは、宮城県の宮城港近く、夢メッセという場所で開催予定のグルメコロシアムというイベントに参加予定で、スタッフが黒石焼きそばを販売するために現地入りしていた。

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震災前の鳴子こけし祭り画像。確か55回目開催の際、特別企画として津軽系工人の特集で津軽系工人複数名が招待工人として呼ばれ、会場内では黒石よされの披露や黒石焼きそばの販売も行う事になり、後々お菓子やグッズの販売のみで参加することになるが、当初は津軽こけし館の出店は黒石焼きそばをメイン販売しておりこけしグッズ等は少量のみ扱っていた。

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自分のやきそばの先生だった一人主に普段は虹の湖公園で働いていたキミヨさんと。ヘラではなく独特の長い箸で超大量の焼きそばを作り上げる焼きそば名人のおばちゃん(笑)
自分も当初はこけしではなくソースまみれで鳴子で焼きそば&つゆ焼きそばを作っていた(笑)


心配して連絡した所、電話は繋がったが
「何か非難してくれって呼びかけているから電話切るわ!また!」
と電話を切られ、その後繋がらなかった。


テレビが映るようになった数日後、ニュースの画面で電話の後の夢メッセの状況だと思われる映像が放送され、鳥肌と震えが止まらず、何度も何度も電話を掛け直した。

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今はない初代、もしくは2代目?の出店用黒石焼きそば号画像。
震災数日後、焼きそばチームと連絡がやっとつながった。避難して下さいと呼びかけていたものの、車に焼きそば販売の釣銭用のお金が入っていたので取りに行った所、駐車場は既に足まで水が来ており急いで施設内に戻ったとの事。
時間が経つにつれ、2階まで水が入って来て3階で一晩過ごすなどした後、数日間避難生活をしてやっとの思いでやっと帰って来た。
そして、乗っていった初代黒石焼きそば号、1か月後か2か月後、現場から確か数キロ離れた所でボロボロな状態で発見され廃車になった。



震災の翌日の津軽こけし館。
こけし館に出社したものの自分たちも何をどうしたらよいかわからない状態。

そして開館時間。
以前からこけしの絵付体験で朝から予約を入れていた関東在住の2人組の若い女の子が来る。
何でも、前日ランプの宿青荷温泉に宿泊していたようで、電気や電波がないため震災があった事をわかっておらず、普通に絵付体験をしに津軽こけし館に来ていた。

停電のため絵付体験は出来ないと断わりつつ、知っている限りの状況を教えて、2人にも帰る時大変かも・・・と伝えつつ、バスや交通機関の心配をしつつ見送った。

印象深かった2人の子、確かMさんと言う方ともう一人。
その後、何度か関東で行ったこけしイベントに遊びに来てくれたのを覚えている。




電気やネットもなかなか復旧せず、お店も開けようにもどうにもならず、どうにかしよう。。。にも何とも出来ない。
一人だったらこれまでやっと軌道に乗せて来たのに。。。と絶望感で一杯で何もできなかったと思う。
だけどこの時は一緒に戦っていた話す仲間がいた。
そして、その仲間の出身地は岩手県、明らかに自分より震災で被害を受けた被災地の事を心配していた。



ネットも復旧し、マッキーと話すうちに、津軽こけし館のこれから、津軽系工人さんのこれから、そして被災した人への応援。
「何とかしよう、何かやろう。」そんなことを話している時にたどり着いたものがあった。

黒石市と姉妹都市の岩手県宮古市。
自分も小さな頃に宮古市に家族で旅行に行ったことがあり、三陸・海の博覧会を見に行ったり、確かアサリの潮干狩りをした記憶がある場所。

ぼんやりと2人で宮古市の事を調べていた時、

マッキーが「室長!見てください!宮古の花ってハマギクって花でこの花言葉・・・・」
「・・・・うぉ!コレって。。。」見ただけで考えた事が一致したと思う。


「「これしかない!」」


―逆境に立ち向かう。

そのハマギクの花言葉は自分たちにも力をくれて、そこから早かった。
マッキーはブログで見てくれているお客さんに呼びかける文章を作り始め、自分は企画専用の口座開設だったり、工人さん達に声をかけてサンプルを製作のお願いをし奔走した。
支援金を振り込んでくれるための口座を作るために一つの団体を作った。
団体の名前は“津軽こけしプロジェクト”
そして、いつからか自分たちが「支援」に置き替えて使うようになった言葉は「志縁」


震災から10日後。
チャリティーこけし企画をブログで発表し、もう一度津軽こけし館は動き始めることに。

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3.11震災支援。宮古市の花を描いたチャリティーハマギクこけし。
申込者に送る時は台紙は手書きで書いたものをコピーしたものだったけど、1枚1枚色付けはスタッフみんなで手作業で彩色をして作った。

ブログを見てくれている方からすぐに反応やコメントがあった。
・・・ただ、いつもと違い、今まで知らない人からの連絡やコメントも多い。

当時、震災の影響で東北に全国の方が注目していた事もあったと思うが、チャリティーこけし販売の申し込みにはこれまでブログを見てくれていた人だけではなく、明らかにこのチャリティー活動がきっかけで目について、こけし絵日記ブログを辿って見ていく事でこけしに興味を持ってくれて連絡してくれた方が多かったと思う。





―新年度。2011年4月。
自分たち津軽こけし館は個人客やこけしファンの人が主な客層になっていたけれども、隣接する伝承工芸館は旅行会社が企画する観光バスツアーの利用率が多い施設で、春の弘前さくら祭りを見学がてらに昼食や買い物利用する予定だった観光バスツアーが数千人規模で全部キャンセルになった。

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より多くの人に活動を紹介しないと。。。という気持ちからツイッターでの情報発信もこの時期から始める。

そんな震災の影響もありつつ、いったん入社する時期をずらしてもらう事も会社では考えたらしいが、さっちゃん達新入社員たちも何とか予定通りに入社することに。


配属された津軽こけし館の新人さっちゃんこと鎌田さつきちゃん18歳。
小柄で控えめな性格、高校時代主だったバイト経験とかも無く働くのは初。
だけど、3年間の高校生活、無遅刻無欠席の皆勤賞の称号は伊達じゃない(笑)
素直で真面目、何でも頑張って取り組んでくれる初々しくとても良い子だった♪

お客さんは少ないながらも、こんな時だからこそ、これまでの津軽こけし館スタッフのスタイルを貫いて新人さっちゃんにも情報発信や攻めの部分をやってもらいたく出来る部分を考えた。
だけど、売店業務や事務作業も教えなきゃいけないし、教えるにしても自分たちもチャリティーこけし活動や他の企画の準備で攻め手に回っている状態で、こけしについてやこけし館の仕事、マンツーマンで全部面倒見ながら教えるのは非常に大変・・・(汗)


う~む。。。。。と考えついたのは。。。

新人じゃないと出来ないというかやりづらい部分でもあり、自分やマッキーも独学だったり、津軽系の部分に偏った知識がついてきていたけど、他系統の事になるとわからない事が多く、ウチらもコッソリ勉強したかった部分・・・(笑)


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こけし初心者のお客さんも一緒に勉強出来るようにしつつ、津軽こけし館さっちゃんへのこけし教育(と見せかけて、ウチやマッキーも知りたかった部分(笑))は、詳しいお客さんに丸投げしてお願いした(笑)



話しは戻り、チャリティーこけしの申し込みは順調。
だけど、見込んでいる売り上げの一部である支援金の行き先「岩手県宮古市」。
その先ををどうするか迷っていた。
自分だったら、宮古市で受付窓口をしている災害支援金の窓口等に寄付。という形で完結させていたかもしれない。
だけど、マッキーはこういうのは本当に妥協が無いというか、真っすぐな子だった。

全国から届いた支援物資が過剰で残っている、被災地の人が「今」必要としているものが足りてない。
連日テレビ等で放送されていたが、日に日に必要なモノや、支援が必要な͡コト、そしてヒトは変わっていた。

全国みんなから集めた大事な寄付金。必要な所へ、大事に使ってくれる所に。。。
という事で最終判断はチャリティーこけし活動に一番気持ちが入っていたマッキー任せたもののどこに向けて、何に向けて渡すか迷っていた。


そんな時、津軽こけし館周辺の地域山形地区の地区協議会会長も務めていた六知秀工人が、地区協議会で宮古市のために住民から募金で集めた義援金を持っていく事を聞いた。

何でも、昔から“海の子山の子交流事業”という子供たちの短期交換留学事業を行っており、黒石から宮古市へ、宮古市から黒石市へ。
子供たちを交換留学させ交流していた歴史が山形地区にはあり、そんな山形地区と付き合いがあった宮古市重茂(おもい)地区。

そして、その地区に住んでいる人達の主要産業は漁業で、地区の方ほとんどが漁業関係で生計を担っているとの事で重茂地区の漁業組合へ支援金を持っていく予定との事。


自分たちも同じ所へ寄付しに行くとなったら一緒に連れって欲しいと阿保さんに頼みながら、マッキーに提案した。
「一部の支援金を現地に持って行って、直接何が足りないか聞いて残りの支援金の行き先決めてみればどうかな?」と。

マッキーも了承し、震災から2か月半ちょっと後、2011年5月30日、被災地岩手県宮古市に向かうことに。

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海の子山の子交流事業。1985年から始まり約20年の間、津軽こけし館周辺の黒石市山形地区と宮古市重茂地区には子供たちの交換留学で交流があった。

六知秀工人と自分とマッキー、地元山形地区協議会のメンバー数名で宮古市へ向かった。

宮古までの道、あまり震災前と変わりがない普通の道。
気になった事と言えば、休憩で立ち寄ったサービスエリアや高速道路に自衛隊の車が多かった。

そして、山道を抜け宮古市に。
街中に入ったが意外な事に街中もあまり変わった様子が無かった。
さらに進み、街の中心部周辺に行くときに驚いたこと、パチンコ屋が営業していて、駐車場に車がかなり停まっていた事。
テレビではあまり放送されていなかったけど、「どうしようもなく、パチンコで気晴らし等する人が多いのかもね。。。」そんな話を車内でした記憶がある。

そして、海沿いに向かうと景色が一転した。津波が来たところ、来なかった所、境目が急に現れ、少し安堵していた気持ちが一転した。

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中が全て津波で流されてむき出しになった建物。解体OK、とスプレーで直接書き込まれていた。



さらに進み、壊れかけた海岸線沿いの道なき道を走り抜け重茂地区の漁業組合に。



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無事に漁協にあつめた支援金のおよそ3分の1を持っていき、心配な事や困っている事を聞いたところ「子供たちの将来」を漁協の方たちは心配しており、支援金は漁業組合を通じて宮古市の学校教育関連への団体へ寄付として送ることに。


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出発前に六知秀工人に製作してもらった漁協の方へ義援金と一緒に渡したメッセージ入り津軽系こけし。

ただ、残りの3分の2は、「さらにこれから」の宮古のためになる事に使ってあげたいというマッキーの想いから行き先をさらに保留にしてしばらく考えることに。


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ちなみに、マッキーが考え抜いた残りの3分の2の支援金の行き先はその2年後の2013年に決まった(笑)

3回目のチャリティーこけし企画の時に得た益金と合わせて宮古市で活動する団体に送る事に。
2年間の間、3分の2の支援金の残りの行き先をお客さんに報告出来てなかったことが自分は気にかかり、一生懸命“必要なところへ、必要なところへ…”とマッキーがずっと考えていたのは知っていたけど、あまり長引かせると支援金付きと告知して購入してくれたお客さん達にその行き先が不透明で変な詐欺?(笑)と思われても困るので・・・

「一生懸命行き先考えるのはいいけど、なるだけ早めにしたほうが・・・(苦笑)」と何度かマッキーに伝え、

「わかってます(笑)だけど、もうちょっと考えたくて・・・(苦笑)」という会話を何度かした(笑)

とことん真っすぐに突き詰める。マッキーはそんな子だった。


この宮古市へ義援金を届けに行った時の話は、こけし絵日記でも見てくれれば。



―改めて、懐かしいけど。。。
野球で言うと自分は姑息な変化球ばかりを勝負球で使い、打ち取ることもあれば、たまにバッターに危険球も投げちゃうピッチャー。
マッキーはど真ん中にストレートを投げるけど江川卓のような感じで球威があり、わかっているけど打てなくてズドンと三振を取るピッチャー。打順は2人で対戦相手によって目まぐるしく入れ替わり、主には切り込み隊長の1番かクリーンナップを担当。

そして、繋ぎの野球に徹する2番キャッチャーさっちゃん。
自分からはピッチャーにサインはなし(笑)投球は2人のピッチャーに全部任せます♪(笑) 
ボールを投げると小柄で弱気、際どい変化球ばかり投げる自分や、豪速球ばかり投げるマッキー、球がきたら顔はビビッてかわす(笑)
・・・だけど!絶対にミットだけは逃げずに構えててくれる補給能力抜群のさっちゃんが頑張って捕球してくれる。
現代野球では2番に最強打者説があるが、自分やマッキーはさっちゃんが居なかったら勢いだけで突っ走って、お互いガタガタになっていたに違いない・・・(笑) 必要不可欠なバランサー。

当時の津軽こけし館はそんなチームのイメージだった(笑)
そして、ドラフト1位でこけし館に指名されたさっちゃんは後々「とんでもない球団に指名された・・・(苦笑)」と思ったに違いない・・・(笑)


タイプはそれぞれだったけど、そんな若い自分たち3人を応援してくれた方は多く、津軽こけし館のスタッフではなく、津軽こけし館のヤマダ、マッキー、さっちゃん。とみんな名前で覚えてくれることが多く、自分たちもそれが頑張る糧になっていた。


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2021年アタシのこけしルームの参加者のプロフィール。この方は何度か来るうちにマッキーのブログや企画、性格にハマり、今現在も含め、その後ずっと津軽こけし館へ来てくれるように。
ハマった当初、とある夏のイベントの時は開催日から連続10日間位通い続けてくれてラジオ体操のように来館スタンプを作ってあげたいほどだった(笑)

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2021年アタこけの参加者のプロフィール。ヤマダの頑張る気力になるJKからの嬉しいメッセージ(笑)
こうなったには訳があり、当初長谷川優志工人のファンだった女の子♪確かこけし館に遊びに来た際に、この子のお気に入りだったこけシケ子ちゃんに向かって優志さんがふざけて「〇〇君、〇〇君」とシケ子ちゃんに向かって何度も話しかけてきて、シケ子ちゃん退場後、汗だくで登場したヤマダが、「優志さん!シケ子ちゃんはシケ子ちゃんですから!!(笑)」と怒ったが、小学生はショックと同時に夢を破壊する優志さんではなく、ヤマダに乗り換えてくれるように(笑)
そして、大人への配慮もしてくれる優しいJK。毎年、字は大き目の太字にして赤字にしてくれる(笑)


そんな応援してくれたファンの方々。
1人例を挙げるとこの時期から現在までずっと当時の3人のファンだと言い続けてくれているのが、現在弥治郎系のこけし工人になった髙田稔雄工人。
当時はこけしファンとして、年に何回も遊びに来てくれてこけし館だけじゃなく、マッキーの馬車にも良く乗ってくれてスタッフみんなとBBQやったりして仲良くなり、ある時のチャリティーこけし活動の延長で実施した企画の時にはボランティアで岩手まで手伝いに来てくれて、ウチらを応援してくれていた。

今、すでに人気になってきてウチらが力になってあげれることは無いかもしれないけど・・・(笑)
ずっと応援してくれた高田さんには工人となった今現在でも出来る限りの恩返しをしたいと思っている。

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2017年8月、岩手県花巻市マルカンデパートで開催した“つがまるこけしかん”イベント。岩手在住だった今は亡き遠刈田系小林定男工人や、現在も活動中の佐藤忠雄工人、そしてマッキーが後々所属した岩手こけし会のメンバーが協力してくれて、煤孫盛造工人もイベントに顔を出してくれた。数年ぶりにマッキー&さっっちゃんと3人揃ってイベントやります♪と高田工人に伝えたらめっちゃ来たがってたけど確か用事があって来れず。。。ただ、期間中熱心に座談会に参加してくれた女性の方いて、終わった後に話しかけて来て話を聞いたら高田さんのお母さんだった(笑)なんでも息子が絶対に行ってみてと代わりに家族を応援に派遣してくれた(笑)

そして、宮古から戻ってきた自分達。
マッキーとこの活動で満足しちゃってもダメだよね。という話になった。

やらなきゃいけない事、そしてやってみたいことの意見はピッタリあった。

こけし館のブログを見てくれているであろう人たちに人気のミニこけしのイベントを開催する。
津軽だけじゃなく、全国各地の工人さんのためになることをする。


当初、ミニチュアこけし展 という仮のタイトルを付けつつ、それまで、地元の工人以外の方だと、主には小島さんや阿保さん達と付き合いがあり、津軽こけし館の工人フェスにも良く来ていた美轆会のメンバーの方々しか津軽こけし館的にはあまり付き合いがなく、全国各地の工人全員と話したことがある訳では無かったので繋がりは一部の人のみに限られていたが、話したこともない、会った事もない、そんな方々に手書きのメッセージ入りの手紙を書いた。

確か、内容は全てコピーした出品依頼の文章に、数行手書きでスタッフ3人で「みなさんの作品を被害が少なかった津軽から応援して紹介したい。若いファンの人達のファンを増やしてこれから数年先もこけし業界が賑やかになるようにしたい・・・・」そんな想いを1枚1枚手書きで付け足した。
大変だったけど、ワゲモノの嵐製作やチャリティーこけしの台紙製作で津軽こけし館は手書きのパワーを知っており、地味にカキカキ、ヌリヌリする作業には慣れていた(笑)


“震災の影響でこけしが全然売れません。このような企画ありがとう”
と福島の工人さんからの参加OKに〇が付けられた返信ハガキに合わせて書かれており、その他にも工人さん達から苦しい現状だったり、負けずに頑張るのでぜひ紹介して欲しいと沢山のメッセージが添えられた返信を受け取った。


ー火が着いていたやる気にさらに油を注がれ、ミニチュアこけし展に向けての準備が始まった。


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当初抽選でどれが当たるかわからない形式で行っていた黒石温泉郷限定こけし付き宿泊プランこけ宿(こけしゅく)
その時金ちゃんが作ったこけしの一部。 記念すべき1回目は“4寸” “りんご” “帽子” をテーマに製作してもらった作品で津軽系工人に自由に作ってもらったものだった。
 金ちゃんの帽子のバランス感覚・・・(笑) 今見ても特に左側の笠風こけし、独特過ぎて面白い(笑)

その頃、じゃらん等と提携した個人向けの宿泊プランなどを黒石温泉郷活性化協議会では行っていた。
それもいいけど。。。大手の旅行会社に自分達の街の魅力を吸い上げられていく気分もあり、何だかそれも癪だなぁと思ったことがキッカケで、こけしのために来るお客さんだけに関しては、自分たちの方のネット発信のほうが伝わりやすいし、こけしの力で周辺の旅館にもお客さんを呼び込んでみたいという事から黒石温泉郷限定こけし付きの宿泊プラン「こけ宿」を企画。

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正文工人の4寸りんご帽子こけし。
コレも当初はこけ宿用の抽選限定こけしとして作られたタイプだったけど、いつの間にか普通に正文さん作るように・・・(笑)
「正文さんコレってこけ宿限定品として作ったはずじゃ。。。(笑)」との問いに、小さな声で「・・・当時とバランスちょっと変えたから(笑)太さとか。。。ちょっと違う(笑)」
と・・・(笑) 確かに当初とかなり違う仕様になったし。。。まぁ。。。いっか♪(笑)と現在の正文さんの代名詞的な作品となる。


さらに、ミニチュアこけし展の準備を進めるが、当初は急遽決まった初企画という事もあり、予算がほぼ無くフライヤーをデザインする費用や沢山印刷する予算が無かった津軽こけし館・・・(笑)

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コケーシカ沼田元気さん責任編集。雑誌こけし時代創刊号のフライヤー。創刊号は2011年8月頃に発刊。

ポスターやフライヤーのデザインを募集するという企画をした所、コケーシカの店主沼田元気さんから連絡が来て、もしよかったらこけし時代創刊号のチラシを作ろうと思ってるけど、その反対側の裏面にイベント紹介を入れ込みましょうか?と声をかけてくれて、1回目のフライヤーは沼田さんが作ってくれたバージョンがあり、こけし時代創刊号販売告知とコラボしたものだった。

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裏面はこんな感じ。写真家としても有名だった沼田さん。まともに頼めばプロ料金になるところ無償で協力してくれた。感謝・・・!

創刊号が販売された時も、沼田さん粋な計らいをしてくれて、
気づいた時マッキーと2人で喜んだのを覚えている。

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こけし時代創刊号最終ページ。取材に協力したこともあり、スペシャルサンクスの部分に自分達の名前も入れてくれた。


新しいイベントの準備も順調。
そんな中、毎年開催している行事の準備ももちろんしなければいけない訳で、
津軽こけし工人が集まる会「津軽こけし工人会」の年に一度、毎年5月か6月に開催されるこけし工人会の総会前のある日のこと。

小島さんが津軽こけし館に来て、
「ワァ、今度の総会で工人会の会長辞めることにしたから♪」
「そして、こけし館の実演にもしばらく来ないから(苦笑)」と言われた。

・・・えっ??と思い、「どうしたんですか・・・?」と聞いても変な感じの言い方で
「疲れちゃったから任せようと思ってよ(苦笑)」と言ってちゃんと答えてくれなかった。


自分は「イロイロ勝手にやり過ぎたかも・・・・」とすぐに感じとった。
どんどん勝手に新しい事をやっていく事に気を悪くしたに違いない…と思い当たるフシが沢山あり、ついに小島さんは付き合いきれず呆れてしまったのかと思っていた。

その後の総会、メンバーで話し合いの末、阿保さんしかいないという事になり、六知秀さんが津軽こけし工人会の4代目の会長になった。

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総会後の懇親会。現在は製作活動をほぼ行っていない奥瀬陽子さんと10年前なのに今と全然変わりがない山谷レイさんと。
なつかしいなぁ(笑)


そして、ミニチュアこけし展の前に、とことん追求を怠らないマッキーのため?(笑)の企画も1つねじ込んで入れた。

それまで、数年開催していた地元の山野草名人の方に協力してもらって開催していたウチョウラン展。
その展示イベントと同時開催にして開催した宮古の小学校に協力してもらった「七夕の願い事展」


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宮古の願い事展。宮古から仕入れた物産品を販売しつつ、支援金を寄付することにした宮古の小学校に協力してもらい、チビッ子たちが願う“ねがい事”を展示して、自分たちもこれからの支援の仕方の参考にしつつ、お客さんにも被災地の子供たちが考えている事を知ってもらいたかった。・・・が、やればやるほど支援の仕方を迷ってしまったこともあり前述した通り残りの義援金はその2年後に行き先が決まる(笑)

このイベントをやったうえでミニチュアこけし展へと繋げたかった。


―2011年7月30日
応援してくれたファンの人達と一緒に作り上げたかった。
そんな思いからお客さんからの応募したタイトルを元に、最終的には津軽こけし館でタイトルを決めたイベントが初日を迎えた。

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当初は確か60名程度の出品だったポケこけ。
それでも自分たち的にはそれまで全然付き合いがなかった工人さんと知り合いになるキッカケになったイベントで、後々120名以上の工人さんが協力してくれる夏の津軽こけし館が誇る一大イベントに。

うれし!たのし!!こけし!!!ポケットこけしパークへようこそ!

始めてのポケこけ開催。
初回、今と比べると作品数、飾りつけ、すべてにおいて比べ物にならないかも知れない。
・・・けれども!!自分で全部立ち会ったから言える事がある。

肉付けしていって80点から翌年90点へ。。。
そういった積み重ねも大変で毎回パワーアップさせていくには頭も体もフル回転しなきゃいけないけれども。。。
ゼロから始めて1歩目を踏み込むとき。それが一番難しい。
2011年の夏はそんな一歩目を踏み出した熱い夏だった。




そして、絵日記ブログを使っての通販対応も少しづつパワーアップ。
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当時はこんな感じで画像に番号を振って、欲しい番号と名前や発送先の住所をコメント欄に非公開コメントで連絡をもらって、その後メールでやり取りをしていた。
つい最近3000体載せたブログ企画をやったけど、ここから現在はかなりパワーアップした(笑)

キノコ狩りと呼ばれた志田さんキノコ頒布会(笑)

ある時の工人フェスの夜に自分達もまざって開催した工人さん達との宴会。
新山真由美工人に「神社の神主なのに、あんな色の毒キノコみたいなの作ってさ~(笑)」と志田さんイジられていたが、ウチら津軽こけし館スタッフに、キノコヒットしたのは津軽こけし館のおかげです♪と志田さんは酔っぱらって言ってくれていた(笑)
因みにいつかの工人フェスでは志田さんは真由美さんに船越英一郎とイジられていた(笑)





さらに、新たに始めた県外イベントへの作品出品。

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BLACK STONE CITY 30th century NURUYU KOKESHI

キッカケは確かマッキーやさっちゃんが配属される前の事。
何本か知らない方に絵付体験用の木地を送って欲しいと頼まれ送ってあげた方がいた。
その数か月後、たまたまネットで黒石市やこけしを検索しているとたどり着いた
クロイチさんという方のBLACK STONE CITYというブログ。

なんでも黒石市に思い入れがあり、独自にアーティストたちにこけしの絵付をしてもらい、そのこけしを飾って青森県黒石市を盛り上げようとクロイチさんは計画しており、ブログを見ていくと、「あれっ、この木地って自分が送ったあの時の・・・!」と気付いて、津軽こけし館でもこの活動を協力したいと連絡を取り始め親睦を深めていた。
そして30世紀こけしと名付けられた出来上がったこけし達を関東を中心とするいくつかの会場で展示することになり、その際黒石焼きそばや津軽こけしを同じ会場で買えるようにしたいからいくつか作品を送ってくれないかという話になり、津軽こけし館で初めてのイベントへの作品出品をやってみることに。

結果は朝から津軽こけし館のブログで告知を見た方が沢山来てくれて成功。
遠く離れた関東でも自分達の告知や紹介したこけし作品を求めてイベントにやって来てくれる方がいるとわかる。






そして、作品出品に成功したと思っていたら、次に声がかかったのは現地出店。

焼きそばでは何度か行ったことがあったが、こけしをメインにした県外出店に初めて行ってみる事になった。

場所は純情商店街の街 東京高円寺。
MY FIRST KOKESHI!〜はじめての伝統こけし〜in 高円寺フェス2011

勝手もわからず、赤字にならないようにと。
行きは新幹線だったけど、帰りは負け試合になる事も考慮して夜行バスを予約していった。

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初めて一緒に参加したのは阿保六知秀工人。そして期間中に開催されたトークイベント。
2人揃って「トークイベント」なるカッコ良く聞こえるイベントに喋る側として参加経験がなく、阿保さんに至っては緊張して始まる前にこっそり隠し持ってたワンカップを開けていた記憶がある(笑)
イラストレーターの浅尾ハルミンさんや、後々こけし図譜などのこけし本の製作を手掛ける佐々木一澄さんのフォローもありなんとか無事に乗り切る。


朝からお客さんの数十名の列、大盛況。
これまでネットやメールでしか繋がっていない人が沢山来てくれて、改めて頑張ってきた成果が人で感じられた。

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ここまで人が集まる。。。とは思ってないほど来てくれて、マッキー、さっちゃん。やったよ!
ウチら頑張ってここまで持ってきた。青森まで聞こえる位叫んでやりたかった。

そして、動きがあれば必ず新しい出会いもあった。
その後も参加しつづけた高円寺フェス、確か2回目か3回目の時に当時ハナメガネ本舗として出店していた現在マヤルカ古書店の店主なかむらさんと、夜長堂の店主井上さんがこの会場で出会い、改めてこけし凄いね~という話になって、
その場にいた自分にも「自分たちが住む関西でこけしイベントやるってなったら津軽こけし館でヤマダさんも協力してくれますか?(笑)」って話しが始まりで京都コトコトこけし博に繋がる。




年の暮れ2011年12月28日。
津軽系こけし工人の笹森さんの家が火事で全焼したという情報が入った。

翌日、心配していると小島さんが津軽こけし館に来て、困った表情で頼んできた。
話しを聞くと、神奈川県横浜市の百貨店タカシマヤから声がかかり年明けの1月11日から青森県の物産展が開催されることになっており、小島さんに声がかかっていたもの、小島さんは体調悪く、笹森さんに代わりに行ってもらう事になっていたとの事。
そんな笹森さん宅が火事。ほとんどの作品が燃えてしまい、本人も大変で行けるような状態じゃない。

だけど、もう宣伝してしまっておりブースに穴をあける訳にはいかないので、なんとか自分に津軽系みんなの作品かき集めてタカシマヤに出店して欲しいとの事。

もっと深く話しを聞くと、1週間位の催事で準備や片付けを含めると、確か8泊9日。
クリスマスイベントを終えて、続けて開催していた冬のチビッ子キャンプも昨日終わったばかりでクタクタ状態。。。
さらに年明けの2日には初挽きがあり1月下旬からはひなこけし展のスタート。・・・体力的にかなりキツいけど、日程的には1月11日から…何とか段取りをすればいけなくない状況。

この頃には気づいていたけど小島さんは見るたびに少しやせ気味になっており、明らかに体調を崩していた。
後々わかるが工人会の会長を降りたりしたのも実演に来なくなっていたのもそれが原因だった。

「長丁場の出店、体力的にも年配の他の工人さんだと参加難しいだろうし、津軽こけし館がみんなの作品集めていくってなると何とかブースを埋める位準備出来ると思うし、自分も出来る限り頑張るから…タクロー頼むっ!」と言われた。



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久しぶりに登場の凛ちゃん。青森市アスパム周辺で開催されたイベントに及ばれした時の写真。
マッキーは凛ちゃんの世話もあり、数日間空けることが難しく県外出店等にはなかなかいけない環境だった。

小島さんからのお願い。
マッキーとさっちゃんにも協力してもらい何とか準備を進めて参加することに。

急遽の出店で、現地の準備も間に合わないと仲良くなったこけしファンの方に期間中の準備や片付けのお手伝いを頼み、同じく出店していた職人さん達には小島さんが親しくしている職人仲間の方もおり、小島さんが事前に事情を説明してくれており、初めての百貨店出店だった自分の事をとても気にかけてくれてみんな面倒を見てくれた。

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タカシマヤ。始まってすぐにエレベーターから走ってきたお客さんの集団。
まさか・・・と思ったが、津軽こけし館ブース目当てで来ていた人が多かった(笑)

因みにこのイベントに女優でこけし好きな村井美樹さんが遊びに来てくれる。
何だかオーラを放っているサングラスだったかマスク姿の方が来て、「・・・もしかして、村井さんですか?」って聞いたら「バレちゃいました(笑)」と、来てくれてその後津軽こけし館にも番組の収録で青森に来た際遊びに来てくれた(笑)

スタッフの自分達、工人さん含めみんな緊張して向かい入れて、確か阿保こけしやにも行ってみたいって事で阿保さんの奥さんであるエチコさんが工房まで送迎した時、話の流れで車の中で「村井さんご飯食べた?」って聞いてたら『食べてないです♪』と聞いて、何か食べさせてあげなきゃ・・・だけど芸能人に家にある残りもの食べさせるのも申し訳なく、途中でコンビニで立ち寄って菓子パンをプレゼントした話を後から聞いて皆で笑った(笑)



そして、タカシマヤから戻ってきた後、小島さんがタカシマヤの話を聞きに来ていた。
一緒に出店していた小島さんの知り合いの職人さん達から「こけし館に朝から人沢山来ていた」「芸能人も来ていた」「こけし館どうやって宣伝してたんだ?」と色々ウワサ話を聞いていたらしく、上々だったことを自分からも聞いて小島さんはホッとしたようで喜んでいた。
そして、その話の中で、土湯温泉の話が出た。

「陣野原さん達の所大変らしくてよ。何とか、津軽こけし館で土湯温泉を応援出来る企画とか考えれねぇかな。。。(笑)」

自分も噂を聞いていたが、震災後土湯温泉は観光客は全く来なかったものの、4月には国からの補助もあり被災者や避難者を温泉旅館で受け入れおり、一時期は活気があったけれども、仮設住宅が出来被災者が移り住んだ後、街にお客さんは戻って来ていない状況だった。

小島さんの話を聞いて、マッキーと2人で自分たちで出来る事を考えた。
連絡を取り合ったのが積極的に情報発信をしていた土湯温泉観光協会のGさん。

Gさんとやり取りしていくとわかった事。
大変ながらも土湯温泉は陣野原さんが街おこし活動にも大きくかかわっており、
気持ちを同じくする方々と数十年前から「あらふどの会」という会を作り土湯温泉を盛り上げていた。
そんなあらふどの会のあらふどは「新雪を踏み固め、道をつくる」

やっている活動を見ているとお客さんは少ないけれどもいろんな活動をしている元気な土湯温泉。
応援してあげなきゃ・・・というより、Gさんと色んな話で盛り上がって、助けるというより、こけしで一緒に盛り上げようという気持ちの度合いが大きくなり、手始めに同じく開催されていたひなまつりに合わせたイベントでスタンプラリー企画をコラボして実施した。




そして、震災から1年後の2012年3月11日。
通称「モモコ」と名付けた福島の名物でもあった桃をテーマにしたチャリティーこけし第2弾の企画を発表した。



4月の土湯こけし祭り。
数百口分の義援金を土湯こけし祭りの際に手渡しに行った時。

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土湯こけし祭りにて、渡辺隆工人と陣野原工人と自分と小島さん。マッキーと県外のこけし催事に一緒に参加したのはこれが最初で最後だったなぁ(笑)

小島さん。。。
マッキーと自分と3人で行くときの車で、小島さんがあんまりこけし館にあまり来なくなった期間のこけし館の話や最近のこけし業界の話をするウチら2人の話にずっと耳を傾けており、陣野原さん達に支援金渡したとき。。。ニコニコと本当喜んでいた(笑)



そして、とことんやる性格の人(笑)が言い出しっぺで、この活動の延長企画を行うことに。

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期間中、津軽こけし館に福島から足を運んで同時開催していた「土湯こけしfeat.渡辺忠雄展」を見に来てくれた忠雄工人。
こけし探偵の江戸川コケシの作り手(笑) あまり作らない雛こけしを寄贈していってくれて展示に華を添えてくれた。


津軽こけし館で 土湯こけしと福島フェアというイベントを行うことになり、さらには、販売したり、見てもらうだけじゃなく、福島を「知ってもらう」イベントにしましょうということで、
“土湯こけし” “福島の食べ物” “原発”
3つのテーマに分かれて、スタッフ3人で調べた事を会場にパネル展示しましょう♪と言い出した・・・(笑)


言われるような気がしていたが、
誰が何について調べるか抽選じゃなく、「室長は原発で♥(笑)」と言われた。


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さっちゃんは、イラストを入れつつ、土湯こけしの解説をして・・・
マッキーはその当時風評被害で問題になっていた福島の食の安全性とかを調べつつ、
自分はひたすら原発問題を勉強してパネル展示した。


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確か3日~4日毎日残業してデスクに噛り付いて原発について調べた記憶がある(笑)

ー数か月後、陣野原さんから連絡が来た。
「チャリティーこけしの義援金。何に使うか街の人と考えた!黒石からもらったお金で、黒石のこけし灯篭を買う事にしたからヤマダくん、手配してくれ!(笑)」と


黒石市で作っている「こけし灯篭」
その土湯こけしバージョンを作ってもらって、夏や秋のお祭り、そして街の中に設置して飾ると。
「土湯の温泉街の夜、ピカッ―とこけしが輝いて、観光客も喜ぶし、街も盛り上がって土湯温泉が明るくなっていいだろ(笑)♪」

陣野原さん。

小島さんが「お前のところの社長も街おこし関係に力入れてるけど、陣野原さんも街おこしに力入れててカリスマ性ある人だぞ~♪」とずっと言っていたが、本当にすごい人で大きな広い心を持つ人だった。

連絡があってから数か月後。
出来上がったこけし灯篭を引き取りに阿部国敏工人達が青森まで取りに来た。

その後、観光協会のGさんから土湯に飾られたこけし灯篭とギンギラギンに輝くその周りで楽しそうに開催されている夏の盆踊りイベントの画像が届いた。

本当にうれしく、土湯を応援するつもりだった企画は自分達が逆に元気をもらったのと、土湯の人以上に嬉しい気持ちで満たされて終わった。


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3回目のチャリティーこけし。
宮古市の支援に戻り、津軽系工人が描いたハマギクとりんご、そしてこけしの裏側には宮古市民にハマギク柄を付けたし描いてもらったものを販売した。

ハマギクの花から始まったチャリティーこけし活動。
ポケットこけしパーク
土湯とのコラボチャリティー企画。


そして3年目には初心に戻って宮古市のチャリティー企画。
※マッキーが迷って迷ってたどり着いた残りの「3分の2」この3回目の活動時に1回目の残りの義援金も一緒に寄付することに(笑)


さらに4年目には、
カメイ美術館の学芸員青野さんが岩手県宮古市出身という縁もあり、
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見るのが中心の施設でこんなにもこけしを求めてくる人が来るのは初めて♪と青野さんは言ってくれていたが、
カメイ美術館でワカメ(←岩手県三陸産)を売る事も初めてなはずで此方は今後も絶対ないはず・・・(笑)

現地出店販売形式のイベントに形を変え開催。
ちなみにこの時協力してくれた雑貨作家 “佐藤★コケシ” さんは後の鳴子系こけし工人佐藤こずえ工人。
雑貨作家名だった佐藤★コケシの名づけ親は実は自分だったりする(笑)



5年目、区切りの5年という事もありチャリティー企画では無くなったが、震災復興の延長で全国のこけし業界、その中で自分達と同じ立場のこけし施設全体をもっと元気にしたいという事で企画・・・。
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こけし施設担当者である津軽こけし館の自分、津軽藩ねぶた村の長谷川優志さん、弥治郎こけし村代表で富塚由香工人、宮城蔵王こけし館代表で日下秀行工人、日本こけし館主任の高橋さん、カメイ美術館の青野さん、西田記念館の相原さんに協力してもらい開催。




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6年目。
同じ系統ながらも遠方に住んでおり接点があまりなかった青森在住の津軽系工人と、県外在住の津軽系工人を繋げるイベントをやりたいと思い、津軽からは自分、山谷レイ工人、長谷川健三工人が現地参加。
山形在住の五十嵐嘉行工人、2番弟子の稲田瑛乃工人。関東から来てくれた五十嵐工人の1番弟子の橋本恒平工人が集まり、


また2015年、2016年、2018年とカメイ美術館で開催したイベント全てに仙台在住の佐藤康広工人はイベント参加含めて準備や設営、片付け作業も含めてずっと協力してくれた。




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7年目 場所を宮城県鳴子温泉、日本こけし館に変え、初めて鳴子で津軽こけし館イベント開催。
鳴子のこけし祭りに1度も参加した事がない山谷レイさんを引き連れ、山形県在住の外鳴子系小林繁男工人が糸ノコ実演を行ってくれ、工人フェスに毎年参加してくれる吉田勝範工人にも参加協力してもらった。



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8年目。場所をカメイ美術館に戻し、
新人工人にスポットを当てたイベントにし、
女性若手工人 津軽系石川美祈子工人、稲田瑛乃工人、鳴子系佐藤こずえ工人
男性若手工人 遠刈田系前田良二工人、我妻昇工人、作並系鈴木敬工人
そして、佐藤康広工人と自分が利き手となるこけし座談会など開催。


他にもイロイロ。。。
だけど、元をたどれば、全部、繋がってる。

激動の津軽こけし館。
疲れるし、気が休まらない。
だけどそれを打ち消す位の楽しさ、うれしさ、面白さに自分はハマっていった。


そして、後々手遅れ状態の時に気が付く・・・(苦笑)
自分では直し方がどうしてもわからない。。。
呪い、呪縛・・・?自己暗示?
自分は病というか、病気に近いものにかかってしまった・・・。

次回はその話。。。







by tsugarukokeshi | 2021-08-27 19:10 | ヤマダ絵日記 | Comments(0)