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津軽こけし館、ワゲモノの放課後⑧ 「第3次こけしブーム」


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―その後も工人さんやスタッフ達と協力して、沢山の企画を実施。


現地以外でも県外の催事や百貨店から出品依頼される事も多くなり、都市部のイベントでは作品を求めて100名以上のお客さんが並んでいる時もある。

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北海道で開催されたナマラこけし、会場となったsimpleさんのお宅で見た矢印の所にある1枚の小さな絵。simpleさんの家族を動物に例えた感じで表現した絵で、凄く興味がひかれ、「simpleさんこの絵って?」と聞いたら、ナマラこけしイベント開催前にsimpleさんに泊まっていた若い絵描きの方が書いた絵との事。「へ~♪凄い面白い絵ですね~♪」となった事が縁の始まりで・・・♪


そして、動きがあれば出会いもある。作家さんや面白い人物との出会いがまた違う企画やイベントに繋がり、仕事に追われて息が付く間も無い中、疲れが一瞬でリセットされる出来事にも立ち会えた。

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simpleさんで聞いた時は名前も聞かなかったけど、その後イロイロな偶然が重なり、改めて知り合いになったsimpleさんの家に飾ってあった絵を描いた絵描きさかいりょうへいさん。
2020年9月から津軽こけし館で作品展を開催。2021年10月1日からも作品展を開催予定。

小島さん亡き後、工人会長を務め若い自分達スタッフの事を支えてくれていた六知秀工人がこけしコンクールでの最高位、総理大臣賞の受賞。

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2017年6月 六知秀工人と自分と司会を務めたATV青森放送の高山アナウンサーと、こけし好きで有名なお笑い芸人タンポポの川村エミコさんと青森県八戸市で一緒にトークイベント

そして、何処から言われ始めたのか、マスコミ等で「第3次こけしブーム」「こけし女子」という言葉が取り上げられるように。

そんな第3次こけしブーム、日本最大の愛好会である東京こけし友の会の会報誌に第3次こけしブームについて記事を書いた方がおり、ブームのきっかけとなる3つの事柄として、「こけし時代」という専門誌、kokeshi bookという本を作ったデザインユニット「COCHAE」、そして、最後の一つに「津軽こけし館」と書かれた事。

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東京こけし友の会会報誌「こけし手帳」掲載記事/第三次こけしブームの特徴と展望

配属されて10年目のある日、ふとパソコンをみたらYahooのトップ画面のニュースに“こけしブーム 黒石・津軽こけし館10年で売上5倍”と掲載されていた事。

そんな事がある度に、仕事を教えてくれた社長、支えてくれた上司やスタッフの皆、協力してくれた工人、作家さん、応援してくれたファンの方との思い出が頭を駆け巡る。


―そして、時代は平成の終わり。
もう一つやりたい事があった。


津軽系工人が所属する「津軽こけし工人会」入会するには県内在住、修行期間5年といった結成した30年前からの会則があったが、時代も変わり県外で活動している人や、他産地でも3年程度の修行で工人として一人立ちさせる流れも生まれていた。
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2020年夏、コロナ禍で中止も検討したポケこけ9.5th、開催期間中ほとんどの企画やサブイベントは行わなかったものの、何とか開催出来た女性工人プチ販売会。世代も近い北山裕美工人、小島利夏工人、石川美祈子工人。


やりたかった事とは、年が近い津軽系の若手工人とより一層協力して盛り上げるためのチーム作り。

阿保会長に会には規約上所属出来ない人もいると思うので若手工人で新しい会も作り今後こけし館や津軽系を盛り上げていきたい、そんな話をした。

数日後、六知秀工人はずっと考えてくれたようで、新しい会を作るのではなく、工人会の会則を変更したらどうだろうと話をしてきた。

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北海道ナマラこけしイベント前旭川駅にて。左から「コレやりましょう♪」と言い出しっぺの今は北海道在住の稲田瑛乃工人、一番恥ずかしがっていたけど結構笑顔の車掌役ヤマダ、そしてピース姿の正文工人。。。と見せかけて真ん中正文工人の右ヤマダです(笑)


30年近く前に自分達の師匠が作り、そして歴代の会長職である兄弟子達が引き継いで守ってきた部分。
変更する事に抵抗はあったかも知れない。

けれども「時代も令和になるし、若い世代に世代交代。それが私の役目かなと」とゆっくりとした口調で笑顔で言ってくれた。


その時の阿保会長、自分には会長がファンでもある石原裕次郎ばりの男前に見えた。

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昭和2年生まれ、当時92歳の新入会員。今でも現役バリバリ、お酒スキスキの五十嵐嘉行工人。
ヤマダに連絡くれる時は大抵の場合は酔っぱらっている(笑)


―時代は新時代、令和元年。
津軽こけし工人会の会員はそれまでの9名から一気に16名に。
30代40代の若手が一気に増え、92歳で新入会した工人も。




つづく




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あとがき

2013年4月。
改めてスタートを切った。

これまでやって来た部分、全部続けて守って、さらに攻めなきゃ・・・・。
と思ったが、色々続けつつ、さらに新しい事に手を出し続けると、結果的にさすがに全部守っては無理だった・・・(笑)
今でも少し心残りなのが、それまでスタッフそれぞれブログをやっていたけど、さすがに手が回らなくなってきて徐々に放置気味になってしまい、ブログはメインのこけし絵日記に絞ることに。


仕事内容も必然的にそうならざる負えなかった部分があったけど、新人で配属されたスタッフには一番の基本的な部分である売店での接客担当をしてもらいつつ、津軽こけし館やこけしの事、来ているお客さんの事をまずは覚えてもらい、それまで、主に売店での接客担当をしていた20歳そこらのさっちゃんには山田が主に行っていた経理や事務処理、マッキーが主に行っていた商品の発注や雑貨の仕入れ部分等をやってもらいつつ、お客さんとのメール対応などにもある程度対応できるように教えた。
そして、自分。これまでマッキーと交互に企画やイベントを行っていたけど、此処は自分が頑張るしかない。と、より一層、新企画やイベントなどを手掛けるように。
ただ、こけし以外でもいい。とにかく大勢の人に来てもらうように広く浅く・・・と思って始めた津軽こけし館担当だったけど、こけしに重点を置いた上で広く浅く。。。と、少し範囲を狭めてよりこけしやこけし館に絞ったイベントや企画等を準備するようになった。


新人で来たスタッフも、これまでやったことが無い仕事を任せたさっちゃんも、そしてそれらを教えながら新しい企画やイベントを創り出さなきゃいけない自分も、みんなバタバタで.さらにはお客さんからの問い合わせは増え続け、イベントに声がかかる事も多くなり、相変わらず落ち着くことが無い日々が続く津軽こけし館。





ーそんな中、嬉しいニュースが飛び込んだ。
2013年5月、宮城県白石市で開催された第55回全日本こけしコンクールで、六知秀工人が最高位である内閣総理大臣賞を受賞。
3大こけしコンクールの中で最も位が高いと言われている白石コンクール。
津軽系の受賞は奥瀬鉄則工人に続き、27年ぶりの快挙!


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受賞後、六知秀工人に付き添って、地元黒石市の市長に総理大臣賞受賞を報告に行った時の新聞記事。

風のウワサでイロイロ聞いた事があるが、日本3大こけしコンクールの審査基準。
種類を多く出した方が入賞する確率が高いとか、逆に絞った方が強いとか。
津軽系で言うと、鳴子のこけし祭りの審査は温湯系より大鰐系が強いとか。
山形のこけし祭りでは温湯系の幸兵衛型が強いなどなど。。。

そんな中でも、津軽系は歴史が浅い事もあり、伝統性を重んじるこけしコンクール等でトップを取る事は難しいだろう、奥瀬工人に続く津軽系の総理大臣賞の受賞は無いだろうとウワサがあった白石コンクール。
そんな中での六知秀工人の受賞。

単純に作品だけを見ての審査なのか。
それともそれを作るに至る過程や工人が歩んできた道。
お客さんからの評価や近年の活動実績やこけし業界への貢献度的な部分も少しは評価の対象になるのか。
自分には良くわからない。

だけども、審査員の人だって人間な訳で作品見る時、絶対に作品だけじゃない部分も思い浮かべちゃう訳で、少しは後者の部分も審査に影響があるのでは・・・と感じたら、小島さん亡き後、ずっと自分達若いスタッフに協力してくれて、相互協力して津軽こけし館や津軽こけしの業界を盛り上げてきた六知秀工人。

微力だけど、自分達も少しは後押しに繋がっているなら・・・と考えたら、六知秀工人の受賞は自分にとっても本当にうれしかった。

雪だるまで日本一になった人に続き、自分の身近な日本一になった男2人目。
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受賞後の確か6月。津軽こけし館のとなり津軽伝承工芸館で100名ほどの関係者を招いて行った六知秀工人の総理大臣賞受賞祝賀会で参加者に記念品で配布した色紙。



そして、そんなコンクール。
六知秀工人の最高位にも驚いたけど、自分的に驚いた入賞が2017年の弥治郎系の高田工人の総理大臣賞受賞。
確か工人として自立して活動してから1年目の事・・・(笑)


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2012年こけしファン時代に髙田さんからお土産にもらった髙田さんが何かの木地に絵付けした津軽&木地山風こけし♪
髙田さん、自分今でも一応持っていますので(笑) (←少しホコリはかかってたけど・・・(笑))

これには驚いた(笑)


さらにもう1つ。
思い入れがあるコンクール受賞で言うと金ちゃんこと阿保金光工人の作品が入賞した時の事(笑)

確かいつかの山形のコンクールで、金ちゃん作品が木地玩具の部で入賞。
ウワサで聞いて、まずは入賞した事自体に驚いた訳だけど、気になったのが木地玩具の部・・・?
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みちのくこけし祭で入賞経験アリ。阿保金光工人の伝統こけ・・・ては無く、木地玩具“黒石よされこけし”

という事で、当時ウワサを聞いた後、六知秀工人に「金ちゃん受賞したらしいけど、なんでだろう???(笑)(←金ちゃんに失礼だけど(笑))」って話しをした時、詳しく話を聞いたら、何でも伝統こけしの部に「黒石よされこけし」を出品した金ちゃん。

六知秀さん曰く、審査員とか関係者の方々も「これは伝統こけしじゃないよな・・・(汗)」と思いつつ、木地玩具の部にそもそも出品者が数少なくて、事務局とかの方が気を使って申し込んだジャンルを勝手に変更してくれて、さらに出品者が少なくて空きがあった賞をくれたんだと思う。。。。(苦笑)との事。なるほど・・・(笑)

・・・・金ちゃん、良くわかってないにしろ、あの時は宝くじが当たったかの如く、弾けるように笑ってめっちゃ喜んでたから・・・まぁいっか(笑)




そして、六知秀工人が受賞した時期と同じ頃の東京こけし友の会の会報誌「こけし手帳」に載った記事。
書いてくれたのは、こけしブログ“こけしのなかのわたし”を書いていた山藤さん。
高円寺フェス、マイファーストこけしの主催会社にも勤めており、津軽こけし館初の県外出店への道を与えてくれた人でもある。

KOKESHIBOOKを作ったCOCHAEの軸原さんや、こけし時代のコケーシカ沼田さん。
自分達ではその2つやそれ以外の要因が大きかった思うけど。。。
そこに津軽こけし館と入れてくれたのが嬉しかった。

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こけし時代の著者でもありこけしとマトリョーシカのお店コケーシカの店主でもある沼田元気さん。
2016年~2018年、津軽こけし館の展示企画にも協力してくれて、マトリョーシカ展、コケーシカ展、マトこけし展と3年3部構成で展示企画を行ってくれた。
画像は2018年のマトこけし展。

そんな盛り上がりを見せていたこけし業界。
ただ、2015年頃から関東や他の産地のこけしイベントの様子を聞くとよく第3次こけしブームが終わった。下火になって来たと言う声も聞くようになった。

そして、中にはあまり良くない意味合いで話に続けて「若い人はすぐに飽きちゃうから(笑)」、と増えていた若いこけしファンの方を悪く言う方もいた。・・・改めて難しいこけし業界(笑)


自分的には、・・・確かに若い世代で来なくなった人や顔を見なくなった人もいるけど、新しく興味を持ってくれるようになった人もいて、全体のこけしファン人口がどうなっているのかわからないけど。。。。
津軽こけし館的には忙しさ年々増してきている(汗)と思っていた訳で、昔と比べて地元青森の人でも、こけし工人に会うためやこけし作品を求めてよくこけし館に遊びに来てくれる人は間違いなく増えてきてるよな・・・と感じていた。

というかブームが終わっても、終わって無くても自分達はやる事は変わらない。
十数年もこけし工人一筋でこけし製作のみで活動してきた人には、売れても、売れてなくても作り続けるしかない訳で。
自分達、津軽こけし館も、人気でも人気じゃなくても、やっている事が変わるかと言うと、今まで来てくれた人にも末永く楽しんでもらえるように頑張りつつ、新しく興味持つ人を増やすことしか出来ない訳で。。。。

終わった、終わってないは、さて置いて。。。
津軽こけし館的に良く第3次こけしブームっていつからいつまでですか?と取材で質問を受けることがあるけど。。。
自分は、2010年頃から今現在もだと思ってます。って答えるようにしていた。
これはコロナ禍になってさすがに影響はある訳だけど、2021年になった今でも同じ回答。


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2014年4月に発刊されたこけし時代10号、こけし本の表紙として斬新すぎると思っていた水着姿の女の子。
そしてここ1年~2年位前に知ったけど、ある時良く取材に来てくれてこけし好きな地元テレビ局のアナウンサーの方が後輩アナを連れて遊びに津軽こけし館へ。絵付指導していた六知秀さんが急にこけし時代10号を見始めて、「どうしたの?」と聞いたら、何でも来ているアナウンサーの子が過去にこけし雑誌のモデルをしたことがあるって聞いて・・・との事で、自分も詳しく話を聞いたら、現在ATV青森放送でアナウンサーをしている新名真愛アナが高校生時代こけし時代10号のモデルをしていた(笑)


そんな中、2018年3月頃、地元の新聞社東奥日報さんが取材に来た。
同じように第3次こけしブーム、こけしが人気の要因とかについての取材。

ちなみに取材した方は山「口」拓郎さんという、自分の小・中学校の1個上の先輩でかなり似ている名前の方(笑)
さらに余談だけど、さらに1個上の先輩に佐藤拓郎さんという方がおり自分が中学校に入学した時、バレー部だった2人は自分の所に来て、同じ名前だから3世代で「拓郎」が居ると面白いからバレー部入らないかと誘いに来た事があった(笑)
2個上の先輩の拓郎さんは、今現在農業×音楽家として活動を続け、Takuronという名前で地元のテレビ番組のレポーター等として活躍している。


取材の際、色々聞かれる中で、山口記者もこけしの事をある程度調べてきたようでブームが終わったみたいに言っている人も居るみたいだけど、ヤマダさん的には?と聞かれて、自分達的には今現在も。。。と答えたものの、それを裏付ける正確なデータも欲しいとの事で、あんまり記事には載せて欲しくないですが・・・(笑)と言いつつ、売り上げの数字の部分もザックリ教えた。

取材を終えた数日後、山口さんから連絡があり、「編集した記事を上司に見せた所、信憑性を出すために数字も載せるように言われたんですけどヤマダさんやはり載せちゃダメですかね・・・?(汗)」と連絡があり、知り合いでいつも取材に来てくれることもあり「う~む。。。まぁ、いいですよ・・・ただ、その代わりに・・・(笑)」とある事を交換条件にOKを出した。


その後、地元新聞に掲載。
さらに新聞記事に掲載されるのは聞いていたけど、たまたまネットを開いたらその記事がヤフーのトップニュースに画像付きで掲載されていた。
最初見た時、「ん・・・・?地域版のヤフー記事のトップか何かかな・・・??」と思ったが、全国各地にいる工人さんや知り合いから連絡があって改めて誰もが一番最初に見るであろうヤフーのニュース画面のトップだと改めて知る。。。
「まじか・・・全国版になっちゃった・・・(汗)」
山口さんからも電話があり、「ネットニュース等は面白いと思った部分ポータルサイトで勝手に拾われて転載される事があるのですが、自分でもビックリですがヤフーのトップで紹介されて全国版になっちゃいました・・・(笑)」と驚いていた。

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ヤフーのトップ画面に画像と合わせて掲載された元記事。
ヤフー画面確か携帯で写真を取っていたけど画像が見つからない・・・。記念にちゃんと撮っておくべきだった(汗)

純金こけしが無くなって入場者数は3分の1になり全体の売上も過去最低の半分になっていた配属直後。

脱、純金こけしを掲げて、小島さんに「漬物を売るなぁ!」等と怒られたものの地道に破壊活動を続け・・・
配属された翌年末には最低の時から考え2倍
通販や県外出店を手掛け始めたマッキーが退職した頃には3.5倍
その後歴代のスタッフ達と積み重ねを続け10年間で5倍位になっていた。

津軽こけし館的に第3次こけしブームが終わった。と感じてなかった理由でもある。。。(笑)


あまり載せて欲しくない理由でもあったけど見た時、「・・・なんか、難しい人に皮肉を言われそう・・・・」と思いつつ、

けど。。。。今まで本当に頑張った(汗)
色んな人との思い出が頭の中を駆け巡り、今では連絡とらなくなったけど、昔から津軽こけし館を応援してくれた方達。

そういった方達が久しぶりに津軽こけし館のニュースを見て、
自分も津軽こけし館をずっと応援していた、懐かしいなぁ・・・まだ頑張ってるのか・・・♪とその後の顛末を伝えられた気がしたのと、みんなが応援してくれた津軽こけし館。あの時と同じでヤマダまだ同じこと繰り返して頑張り続けてますよ(笑)そして、たまにはまた遊びに来てくださいね♪というメッセージを伝える機会になったと思ったら嬉しく思えた。

津軽系の工人さん達も、新聞を見たり、ネットニュースを見た県外のお客さんから連絡を受けたようで、純金こけしが無くなり下火になっていた当初のこけし館を知る工人さんは、「今と比べるとあの時本当に人来なかったけど、ヤマダくんたち頑張ったもんな~、こけし館変わったもんな♪」と言ってくれた。




そして、山口記者に交換条件としてお願いしたのが・・・
取材された時期にちょうど企画準備中だった2018年4月15日(日)開催予定。
津軽こけし館で初開催する事になっていた津軽こけし館開館30周年アニバーサリーフェスタの告知記事を出来る限り大きく書いて欲しいという事。

配属されて確か数か月後の4月頃。
小島さんに「4月15日って津軽こけし館の誕生日なんだよな。。。なんか寂しいな、来た人にポケットティシュとかでも記念にサービスできねぇもんかな。。。」
と言われてたけど、その時自分はわからない事、出来ない事が多すぎてポケットティシュ配布さえも出来なかった。

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画像は2019年の開館31周年の時の写真。ちなみに隣にある煮干しラーメンのお店で、矢印のマスク姿の店員の横に立ち髪だけちょっと写っている子。
まだ自分と知り合ってない頃の現在津軽こけし館スタッフのなおこちゃん(笑) この数か月後に入社する事になる。

だけども小島さん。
あれから10年近く、あの時何も出来なかったけど、自分しっかり覚えてましたから。
30歳の誕生日、津軽系の工人さん、そして応援してくれたこけしファンの方、知り合いになった作家さん達。
みんなで笑顔で楽しんで津軽こけし館の誕生日、祝ってあげれる機会作りましたからね。




ーそして、同じ事を続けて来て1年後。
平成の終わりの時期。自分はもう一つ変えたいと思っていたことがあった。

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2019年春時期に行った展示企画「ドンタク玩具社の玩具たち」
ドンタク玩具社はコチャエの軸原さんが新たに立ち上げた新ユニットで、軸原さんとは鳴子のこけし祭りや土湯のこけし祭りの時に毎年顔を合わせて一緒にお酒を飲んだりする内に顔見知りになり2019年協力してもらい展示企画を津軽こけし館で行った。

こけし業界には、型の継承問題、後継者問題、工人になるには、人間関係などなど。。。
長年勤めてきて感じてきたが、手が付け難いいくつかの難しい問題があった。

例えば、型の継承問題。
受け継いできた師匠の型は、引き継いだ後継者である人しか作れないというルールがある。
だけどその基準は曖昧な部分もあり、昔からの収集家や工人さんに聞いても、コレはいいけど、あれはダメ。人によって基準が違う。
そして、それを重々知っての上で誰も持っていないものが欲しいからと製作を頼む収集家の方なんかもいる。


他にも、工人になるにはどうすればいいの?・・・問題。
自分的には、一定期間の修行期間、師弟関係、同業者や関係者からの良い意味での認知や評価。
そして工人になってからは購入してくれるお客さん。
それら全てがある程度整って、いち工人として活動を始める事が出来ると思っている。
これも決まったルールブックがある訳ではなく、一定の修行期間の部分なども、教える師匠や環境によってそれは違う訳で、
ある人は5年、ある人は3年だけど、ある人は2年などなど。。。

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中学校を卒業と同時に佐藤善二工人に弟子入りこの道55年の阿保六知秀工人。
ただいま北東北の縄文遺跡群世界遺産登録に合わせて縄文津軽こけし好評販売中♪

昔6年住み込み、その後5年の通い修行、11年目に独立した六知秀工人に話を聞いた際、
中学校にあった佐藤善二工人が指導に来ていたこけしクラブに所属していた六知秀工人。
「中学生のクラブ活動程度でもある程度のこけし作品作れるまでになったんですか?」って聞いたら、「上手いか下手かは置いておいてある程度こけしっぽいモノは作れたよ(笑)昔のオリンピックの時に鳴子の中学生が選手たちにこけし送ったのも知っていると思うけどあれも中学生だし♪」との事。
じゃあ、そんな何年もかけなくてもこけし工人になれたんじゃ・・・?と聞くと、クラブ活動ではロクロに座ってすぐに削らせてもらったけど、卒業して弟子入り後、ロクロの前に座らせてもらったのは入門して数年経ってから。住み込みで最初はトイレ掃除やら工房の掃除、師匠の作る作品の下準備やら。入門してすぐの時、ご飯の時間になり頂きまーす!と食べようと思ったら、師匠が箸を投げつけて怒ってきて、師匠が手を付けてから食べるように言われてさ♪
要は社会勉強とか精神修行も兼ねての修行期間で、その期間で技術や技ももちろんだけど、社会に通用する人間性とか、こけし愛好家の人達の事を覚えたり、販売の仕方やお店に置いてもらうにはどうすれば良いかとか覚えて、繰り返して繰り返して・・・数年我慢して続けて、「よしっ!これ位の忍耐力と精神力と経験。そして技術があれば今後独り立ちしてもこけし工人として続けてやっていけるだろう!」って事でこけし作り以外に、一人前の大人、社会人として世に出て良いレベルになるまで仕込んで教えてくれたんだと思うとの事。

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同じくこけしクラブに所属していた金ちゃんの中学生時代の作品。当時金ちゃんは部長を務めていたらしい(笑)そして金ちゃんの場合、中学生の時の方が上手だったような・・・(笑)

そんな話しを聞いた事が何度もある訳で、たぶん作れるには作れるだろうけど、少しの期間やっただけで工人になったとなると、何年間もやって来て、やっとの思いで工人になった現在活動中のベテラン工人達の努力や苦労がお客さんからは見えづらくなり、こけし工人って数か月でなれるのかと思われると、全体のレベルの低下や他のこけし工人全体の存在価値の低下にも繋がる訳で。。。
今現在、こけしが残って来たのは数年間の間、雨の日も風の日も精神修行を兼ねてこけしを作り続けてやっとの思いでこけし工人として活動できるようになったベテラン工人達がいるからで、その方たちが師匠から教え込まれた技術以外の人間としての成長部分。

こけし愛好家の中では持っていないだろうから、始めて販売したりする初作品を求めるファンの人が多いし、いち早く紹介して文献等に自分の名前と合わせて記して残したいから修行中の未熟な作品でも欲しいから譲って欲しいという方もおり、津軽こけし館でもそういった作品は欲しがる方多く、売りやすいからいち早く入手したい気持ちもある訳だけど。。。

気持が安定せず技術もまだまだな未熟な状態で、早く世に出しちゃうとその後その人はこけし工人として続けていけるのかって事も考えてあげつつ、今後こけし工人を目指す人がいたとして、末永く続けていく土台を作る準備期間としてある程度の期間、自分は欲を押さえて温かく見守ってあげなきゃいけない部分もあるんじゃないかなと思っている。

だけども改めて・・・。
これも決まったルールがある訳ではなく、教える師匠の考えや環境によってそれは違う訳で、そういった考え方の違いややり方の違いが、後々人間関係とかにも繋がって来る訳で。。。
改めてなかなか難しい問題でもある・・・・(汗)





話しを戻すと・・・、
そんな手を付け難いどうしようもない問題が沢山ある中で、自分は何とかこの部分だけはなんとかしたい。現状を変えたい。と思っていた部分があった。


津軽系工人さん達が所属している「津軽こけし工人会」
1987年、津軽こけし館のオープンを間もなくに控え、当時、他県で先に出来ていたこけし資料館や施設を作る際、地元工人が施設の運営に協力のために「工人会」や「工人組合」を結成している流れを参考にして結成されたのがきっかけで出来た会。

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毎年5月~7月位に会員で集まって総会を開いている。ちなみに他の産地だと工人会が運営しているこけし施設もあるが、津軽こけし館は自分達が働いている(株)ツガルサイコーが管理運営を行っている。

そんな、津軽こけし工人会。
津軽こけし工人会規約の目的を見ると
「目的は会員相互の親睦と津軽こけしの振興を図ること」との事。

そして、その目的を達成するための行う事業は
「津軽こけし館運営への協力」
「会員相互の親睦」
「販路の拡大」
「その他、本会の目的を達成するために必要な事柄」
そんな会則の会。



ただ、自分が配属された時から、言われた通りのまま事務局を務めていたけれども、記載はされて無いけど色んな仕来りやルールのようなものがあった。
たぶん、それは結成されて十数年間の間に歴代積み重なってやっていく内に出来た裏ルール?や暗黙の了解、忖度のようなもの。


おそらくそんなルールが出来た理由は各系統にそれぞれ工人会的なものがあるけど、それぞれ結成した意味や形態、目的は違うけれども、時代と共に徐々に色んな系統、色んな産地、色んな工人同士でも交流が生まれたことで、いつの間にか色々な「会」の捉え方がゴチャゴチャに混ざって、「津軽こけし工人会」も規約には無いけど全国津々浦々の「工人会」「工人組合」の色んなルールの部分が書面には無いけど頭の中でイメージとして残りごちゃ混ぜになってしまった事。

さらに言うと、絶対に全国各地にある工人組合や工人会それぞれの規約や目的や意味合い。やり方の違いを分かっているお客さんはいないと思うけど。
お客さん側でも、会の話しを聞いた際、それぞれ違った会ではあるはずだけど、「工人会とはどこもこういったものだ」と、イメージが出来上がってしまい、さらにそのイメージで工人会や工人組合の意味合いが大勢の人に広まったという事だと思う。


自分も担当になった時、他県の催事やイベントに行った際、産地の工人さんや収集家の方に
「会に所属していないとこの施設には作品が置けない事になってるんだ」とか、
「会で承認しなきゃ工人として認められない」とか、そんな事を聞いた事があったけど。。。

後々きちんと聞くと会員の会費が元手になってやっている施設なので会費を払っている会員の人のを優先して販売してあげているとか、聞いてもわかる正当な理由等があるものもあった訳だけど、一部だけ切り取った部分が津軽こけし工人会にも書いてないルールとして染みついて残っていた。
そして、それは何年もの間、歴代引き継がれて残ってきた部分で、それを取り込んできた人たち先人たちは亡くなってしまった事もあり、無くそうにも、なかなか取り除けない、変えてはいけないのではないか、という伝統的な慣習になってしまっていた。


そんな中。。。。
全国各地の催事やイベントに飛び回っていく内に工人会に所属していない津軽系の工人さん達とも何度も会う機会があり津軽こけし館として交流が出来てきていた。
その中には同世代の人も多く、これから数十年先の津軽こけし館の事を考えた時に「若い世代で一緒に何かやりたい!」となった時、会がどうのこうのっていう問題が足かせになり出来ないってなるのは自分は嫌だと思い、改めて六知秀さんに相談した。

六知秀さんも昔からの工人会の慣習については重々承知でこれまでも何度か一緒にこの問題について話し合ったことがあったけど、先人たちが決めた部分でもあり、変えることを抵抗があるようであまり進んだ話にはなっていなかった。

何度か話した事がある話でもあったけど、
「工人会を変えようと思っても難しいなら、それはそれで残しつつ、津軽こけし館で津軽系の若い工人を集めて新しく会をもう一つ作って、何年か先、若い世代で一丸となって一緒に津軽系盛り上げて行きたいと思っている」と話した。


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数年前火事で作業場を無くした嶋津工人、年に数回津軽こけし館にロクロを借りにきて製作活動しに来る訳だけど、つい先日の北山盛治工人の実演日にたまたま嶋津さんも来ることになった訳で、名前はもちろんお互い知っていたけど直接会うのは今日が初めてだ(笑)と2人で言っていた北山盛治工人と嶋津誠一工人。初対面の日、話がかなり弾んで盛り上がっていた(笑)

六知秀さんその時も「・・・・・う~む。。」と言って話は終わった。
またこの話は中途半端に終わってしまった。。。。そう思っていた。


そして、その数日後。
六知秀さんは、その後もずっと考えてくれていたようで、

「新しい会を作るのではなく、工人会の会則を変えたらどうだろう。」

「時代も令和になるし、若い世代に世代交代・・・。それが私の役目かな。」とゆっくりとした口調で笑顔で言ってくれた。

その時の阿保さん。
変えることに抵抗は絶対あったと思う。だけども一緒に責任を背負ってくれた。10数年先の自分達の若い世代の事も考えてくれた。

自分は感動して涙目になったせいか本当にあの人物よりカッコよく見えた。


変えた一部を紹介するとそれまで入会条件だった。
「青森県に住所を有し、本会の趣旨に賛同するこけしの製造を業としている者」
「工人経験5年以上の者で、会員2名以上の推薦のある者」を変更。

「本会の趣旨に賛同するこけしの製造を業としている者」
「工人経験3年以上の者で、会員または津軽こけし館責任者、2名以上の推薦のある者」に変え、
そして、書いていない色々な暗黙の了解、裏ルール、忖度みたいなものを全部無しにして考えることにした。


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2020年、北海道在住の稲田瑛乃工人に使っていないロクロを六知秀工人がプレゼント。
使い方をレクチャーする阿保六知秀とママになった稲田瑛乃工人とヤマダ。と見せかけて正文工人♪

津軽こけし工人会とは書いた通りの団体な訳だけど。。。
今でも、おそらく「工人会に入ってないと・・・・」「工人会に入っていない人は・・・」と難しい事を言う人がいるかも知れないけど、条件を満たして入会した人たちは「自分、工人会にも所属している工人です♪」と自分を守る盾にもして欲しいし、
改めて、津軽こけし館の誕生に合わせて発足した会で、津軽こけし館へ出来る限り協力してくれている工人さん達。
自分も精一杯、出来る限り応援して支えてあげたいと思っている。

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間口を広げて会員が倍くらいになった津軽こけし工人会。地元の新聞社でも取り上げて記事掲載してくれた。

自分で提案した部分は非常に難しい部分で、誰も手を出したくないんだろうなとずっと思っていた部分。

こういった難しい世界である事を教えてくれて、下手な事をして目を付けられないように守ろうとしてくれた小島さん。
そして、その難しさをわかった上で変えたいという提案を聞いて一緒に責任を背負ってくれた六知秀さん。

自分は本当にカッコいいリーダーたちに会った。

令和元年。
30年程積み重なり、自分も10年間の間手を付けれず変えれなかった部分。

生まれ変わった石原裕次郎軍団…ではなく、
新生、津軽こけし工人会。

自分はこの会と一緒に、これからも津軽こけし館を盛り上げていきたい。





・・・・さて。
先日新聞版での掲載は終わったワゲモノの放課後。
全10話で終わりまで残り2回。

自分でも当初あとがきこんなに長々と長く書く予定じゃなかったけど(笑)
書いたら色んな事さらに思い出して止まらなくなってしまいまして・・・(苦笑)
もう少しだけお付き合いくださいませ。。。。

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イケメン会長「チェケラ~♪」




つづく。






by tsugarukokeshi | 2021-09-15 20:06 | ヤマダ絵日記 | Comments(0)